著者
高田 美一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.99-128, 1983-03-15

明治十五年五月十四日、龍池会主催、上野公園、教育博物館、観書室におけるフェノロサ講演『美術真説』は明治文化史の展開に重要な影響をおよぼした。しかし、原英文遺稿を欠き、大森惟中の筆記としてのみ残存し、奇妙な片仮名まじりの簡潔・生硬な漢文調の文語体のため、フェノロサの真意を理解することが困難である。筆者はフェノロサが意図した深遠な「構造美学」はこれまで理解されていないと考える。「初編」、「本稿」における筆者の主題は『美術真説』を構造的に英文で再構成し、深遠ですばらしいフェノロサ芸術論を紹介するのが目的である。「初稿」とは、日本フェノロサ学会機関誌『ロウタス』第三号に寄稿した同名表題の拙論である。
著者
高田 美一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.105-115, 1986-03-15

一八八六年七月三日、ヘンリー・アダムズと画家ジョン・ラ・ファージが日本を訪れ、フェノロサ一家とともに日光にて夏を過ごし、その後、フェノロサとともに鎌倉、京都、奈良、岐阜へと旅行し、日本古美術品を蒐集した。文部省派遣のヨーロッパ美術教育調査に出発するフェノロサと天心は、十月二日横浜出航のシティ・オヴ・ペキン号でアダムズ、ラ・ファージと同船し親交を結んだ。一九四〇年、パウンドは「アダムズ・キャントウズ」を出したが、それはアダムズ家のアメリカ建国の父祖第二代大統領ジョン・アダムズの功績と人格を顕揚したもので、その資料はヘンリーの父チャールズ・フランシス・アダムズ編の『ジョン・アダムズ著作集』からえた。ヘンリーも、ジェファーソンに焦点をあてたアメリカ建国時代の歴史の大著を出し、パウンドもまたジェファーソンの功績と人格を賞揚した。