著者
高野 秀之
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.77-99, 2009-10

本稿は、平成20 年度嘉悦大学特別研究『認知言語学を理論基盤とした文法教育の研究』の第1章として共同研究者に提供した、言語学史の概要部分を加筆・修正したものである。その中で、筆者は認知言語学を最新の言語観として位置づけ、言語学の歴史において、その要請はことばに関する哲学的な議論の当然の帰結であると主張している。近代以降の言語学史において、最新の言語理論というものは、直前の言語観をアンチテーゼとして成立したものであるという見方が、一応、共通の認識になっている。しかし、それでは言語研究の歴史の中で展開されてきた言語観の変遷は不問に付され、最新の言語観と直前のそれとの差異ばかりが過剰なまでに強調されているような印象を受ける。理論言語学の目的は、最新の言語理論がどれだけ言語一般の特性を表すものであるかを共時的に検証するとともに、そこに至るまでの言語観の変遷を通時的に実証することにある。ことばをどのように扱うのかという問題は、ある言語理論がどれだけ多くの言語に対応するものであるかを論じるだけではなく、それぞれの時代において言語学者がどのような視座に立ち、何を取捨選択してきたのかを振り返ることによって初めて明らかにされるものである。今回の取り組みが、哲学者や思想(史)家から浅薄なものであるという指摘を受けることになったとしても、それは次の言語理論を創出する過程においては、必要不可欠な作業であると考える。言語学者自身が言語観の変遷を振り返ることにより、言語学は更なる発展を遂げるのである。
著者
高野 秀之 タカノ ヒデユキ Hideyuki Takano
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.77-99, 2009-10-01

本稿は、平成20 年度嘉悦大学特別研究『認知言語学を理論基盤とした文法教育の研究』の第1章として共同研究者に提供した、言語学史の概要部分を加筆・修正したものである。その中で、筆者は認知言語学を最新の言語観として位置づけ、言語学の歴史において、その要請はことばに関する哲学的な議論の当然の帰結であると主張している。近代以降の言語学史において、最新の言語理論というものは、直前の言語観をアンチテーゼとして成立したものであるという見方が、一応、共通の認識になっている。しかし、それでは言語研究の歴史の中で展開されてきた言語観の変遷は不問に付され、最新の言語観と直前のそれとの差異ばかりが過剰なまでに強調されているような印象を受ける。理論言語学の目的は、最新の言語理論がどれだけ言語一般の特性を表すものであるかを共時的に検証するとともに、そこに至るまでの言語観の変遷を通時的に実証することにある。ことばをどのように扱うのかという問題は、ある言語理論がどれだけ多くの言語に対応するものであるかを論じるだけではなく、それぞれの時代において言語学者がどのような視座に立ち、何を取捨選択してきたのかを振り返ることによって初めて明らかにされるものである。今回の取り組みが、哲学者や思想(史)家から浅薄なものであるという指摘を受けることになったとしても、それは次の言語理論を創出する過程においては、必要不可欠な作業であると考える。言語学者自身が言語観の変遷を振り返ることにより、言語学は更なる発展を遂げるのである。
著者
高野 秀之
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.47-73, 2010-10-25

本稿は、ソシュールの一般言語学理論を再考することを通じて、言語研究の歴史における、その評価の妥当性を問い直すものである。 言語研究の歴史において、ソシュールはさまざまな批判にさらされてきたが、その中には、ソシュールの思想や学説への不理解や誤った歴史認識に基づいたものもある。そうした誤解を払拭するために、ソシュールの思想や学説を可能な限り忠実に再現した後、ソシュールに向けられた批判の型を『一般言語学講義』の成立事情に基づくもの、ソシュールの言語理論自体に関するもの、歴史認識にかかわるものの3 種類に分類し、それぞれを検証することを通じて正当な評価を下すことを試みる。 筆者は、人間の知的活動としての理論構築というものが、対立や批判からのみもたらされるとは考えない。それは、既存の理論や学説と相互に関連し合いながら、視点の位置と適用範囲の変遷によって刷新されてゆくものである。その視点と適用範囲とが時間の経過とともに増加・累積し、洗練されてゆく過程が言語研究の対象であるとするソシュールは、批判の対象ではない。それは、言語研究の対象と方法とを示しながら、それを自らの手で一冊の本にまとめることを躊躇したこと、ただ一点においてのみであると考える。
著者
高野 秀之
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.3-38, 2012-10-26

本稿の目的は、生成文法の基本原理を検証し、その理論的な基盤となる言語観を探求することにある。しかし、取り上げられる基本原理と、それぞれを基に記述される言語現象は、質・量ともに、決して十分なものとは言えない。したがって、この取り組みは、生成文法の全容解明ではなく、この理論がどのように言語の本質を捉えようとしているのかを追体験し、そこに想定されている言語観を合理的に導き出そうとする入門研究である。生成文法は、経験科学の方法で言語の本質を解明しようとする言語理論で、観察可能な言語資料から導き出された事実に基づいて仮説をたてる。実証研究の過程において、期待された解が得られなかったとしても、仮説を簡単に放棄したりはしない。その結果は、理論構築に至る過程が厳正であったために導き出されたものとして受け入れ、仮説の修正を繰り返し、より洗練された理論を目指す。問題の棚上げという対応が批判の対象になることもあるが、現在、生成文法は言語の本質解明に最も近い言語理論の一つであると言えよう。巻末の資料は、生成文法の基本原理が英語の疑問文を生成する過程を説明するのに効果的であると主張し、研究の公共性を担保している。
著者
高野 秀之 タカノ ヒデユキ Hideyuki Takano
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.3-38, 2012-10-26

本稿の目的は、生成文法の基本原理を検証し、その理論的な基盤となる言語観を探求することにある。しかし、取り上げられる基本原理と、それぞれを基に記述される言語現象は、質・量ともに、決して十分なものとは言えない。したがって、この取り組みは、生成文法の全容解明ではなく、この理論がどのように言語の本質を捉えようとしているのかを追体験し、そこに想定されている言語観を合理的に導き出そうとする入門研究である。生成文法は、経験科学の方法で言語の本質を解明しようとする言語理論で、観察可能な言語資料から導き出された事実に基づいて仮説をたてる。実証研究の過程において、期待された解が得られなかったとしても、仮説を簡単に放棄したりはしない。その結果は、理論構築に至る過程が厳正であったために導き出されたものとして受け入れ、仮説の修正を繰り返し、より洗練された理論を目指す。問題の棚上げという対応が批判の対象になることもあるが、現在、生成文法は言語の本質解明に最も近い言語理論の一つであると言えよう。巻末の資料は、生成文法の基本原理が英語の疑問文を生成する過程を説明するのに効果的であると主張し、研究の公共性を担保している。
著者
高野 秀之 タカノ ヒデユキ Hideyuki Takano
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.47-73, 2010-10-25

本稿は、ソシュールの一般言語学理論を再考することを通じて、言語研究の歴史における、その評価の妥当性を問い直すものである。 言語研究の歴史において、ソシュールはさまざまな批判にさらされてきたが、その中には、ソシュールの思想や学説への不理解や誤った歴史認識に基づいたものもある。そうした誤解を払拭するために、ソシュールの思想や学説を可能な限り忠実に再現した後、ソシュールに向けられた批判の型を『一般言語学講義』の成立事情に基づくもの、ソシュールの言語理論自体に関するもの、歴史認識にかかわるものの3 種類に分類し、それぞれを検証することを通じて正当な評価を下すことを試みる。 筆者は、人間の知的活動としての理論構築というものが、対立や批判からのみもたらされるとは考えない。それは、既存の理論や学説と相互に関連し合いながら、視点の位置と適用範囲の変遷によって刷新されてゆくものである。その視点と適用範囲とが時間の経過とともに増加・累積し、洗練されてゆく過程が言語研究の対象であるとするソシュールは、批判の対象ではない。それは、言語研究の対象と方法とを示しながら、それを自らの手で一冊の本にまとめることを躊躇したこと、ただ一点においてのみであると考える。
著者
高野 秀之 タカノ ヒデユキ Hideyuki Takano
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.87-106, 2013-10-25

本稿は機能主義言語学の入門研究である。ここで言う「機能主義」とは、Saussureが築き上げたヨーロッパ構造主義言語学の伝統における「一つの研究動向」のことを意味している。彼の後継者の業績の中から、特に、言語使用の目的、その目的が果たされる場面、言語使用の場面や状況において発現する意味(即ち、機能)に関心を寄せるものを選び、それらが言語体系の構造を記述するという目的を果たすために、どのような手段(方法)を講じているのかを概観する。 言語学という特定領域の歴史において、対立しているかのようにも見える二つの研究動向(即ち、構造主義と機能主義)がどのように扱われてきたのかを見直すことは、言語学史の研究のみならず、最新の言語理論を理解するうえでも有意義なことである。 本研究が扱う業績は、「コミュニケーション理論」、「場の脈絡という概念」、そして、言語学の主たる目的を意味の研究として定め、「意味はコンテクストの中で機能するという言語観」に限られる。それらはみな、行き過ぎた客観主義への反省に基づいて、「目的-手段」というモデルを共有している。