- 著者
-
髙橋 涼太朗
- 出版者
- 日本財政学会
- 雑誌
- 財政研究 (ISSN:24363421)
- 巻号頁・発行日
- vol.16, pp.213-236, 2020 (Released:2022-01-19)
- 参考文献数
- 50
巨額の財政赤字の発生を受けて,財政規律を維持する大蔵省による統制は1970年代には崩壊したと見なされてきた。本稿は1970年代後半の15か月予算の編成過程を分析し,大蔵省統制が機能していたにもかかわらず財政赤字が発生したことを明らかにする。15か月予算を構成する1977年度第2次補正予算まで,公債依存度を30%以内に抑えるルール下で予算編成がなされていた。一方,日本政府は円高に直面し,内需拡大政策をとる必要があった。このジレンマに対処するため,福田赳夫はアメリカへ秘密書簡を送る。これを根拠にアメリカ政府の強硬派が外交政策の主導権を握り,日本に対して「外圧」をかけた。その結果,福田は大蔵省統制を突破した予算編成を行うことができた。一方で大蔵省は後退した統制を強化するために「原状回復性」に着目して,公共事業の拡充と折半ルールの導入を行う。しかし,「原状回復性」を持つ政策は残存し,後年の財政赤字の要因となったのである。