著者
鬼頭 宏
出版者
日本人口学会
雑誌
人口学研究 (ISSN:03868311)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.49-57, 1986-05-30 (Released:2017-09-12)

近世日本の農村人口については宗門改帳の利用によってこれまでに多くのことが解明されてきたが,長期にわたって残存する宗門改帳が少いために,都市の歴史入口学的研究はおくれるいるのが実状である。そこで宗門改帳とは別種の史料の利用を開拓することが必要とされる。本稿では,町奉行所から布達された町触の記事を通じて迷子と行方不明に焦点をあて,近世都市における人口現象に接近することを試みた。調査結果はつぎのとおりである。迷子の年齢は2・3歳から8歳まで分布するが,半数が3・4歳に集中する。また迷子の発生件数は米価高騰期に多く,低落期に少い。このことから迷子にはひとり歩きできる年齢の捨子が多く含まれると推定できる。貧しい身成りの子供が多数あることも,この推測を裏付ける。行方不明者の数は15歳以下の年少者が最も多くほぼ3分の1を占める。61歳以上が5分の1を占めてこれに次ぐ。年齢構造を考慮すれば行方不明の発生率は61歳以上高齢者は平均の3倍以上で最も高く,15歳以下と46〜60歳がこれに次ぐ。年少者には奉公人が多数含まれ,ほぼ半数を占める。行方不明者全体の中で傍系親族の割合は低く,1割に満たない。これらの特徴は,都市化が進み,小規模の血縁家族と比較的多数の若年労働力をおく京都の世帯構造をよく反映している。行方不明者には肉体的,精神的に何らかの異常をもつ者が少くない。25歳以下では「生得愚」とされる者,26〜60歳では精神に障害があるとおもわれる者,そして56歳以上では「老耄」と記載された俳徊老人が目につく。迷子と行方不明に対する関心が18世紀になってから高まり,触留に記録されるようになったことは,前世紀からこの時代にかけて人口の成長から停滞への転換が生じたことと関係があると考えられる。人口の停滞はおもに出生力の低下,すなわち子供数の制限によって達成されたとみなされている。捨子は堕胎・間引と並び,確実な方法として採用されたのであろう。また同時に,出生率の低下は人口高齢化をもたらし,老人を取り巻く問題が目立つようになったのである。
著者
鬼頭 宏 上山 隆大 鬼頭 宏
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

本研究『医療市場の誕生とその規制に関する歴史的・実証的研究:大衆消費社会における「市場と国家」のケーススタディ』は13年度中に、その調査を終えた。本研究の基本的な目的は、世紀末のイギリスがいかに多様かつ「モダーン」な消費社会の時代に突入していたかを、とりわけ医療の現場におけるコンシューマリズムの浸透を示すいくつかのケース・スタディーを通して明らかにすることにある。これまで多くの経済史家・社会史家は19世紀とくに後期ヴィクトリア朝期のイギリスを、individualismの時代からやがてくるcollectivismの時代への過渡期と捉えてきた。古くはA.V.DiceyからDerek Fraserまで多くの歴史家が、19世紀末には肥大化し始める官僚制と中央政府の役割の増大を背景に、社会はレッセ・フェールと個人主義の気運を徐々に失い個人の福祉まで国家による規制と統制に委ねようとし始めたと論じてきたし、あるいはHarold Perkinのように、19世紀は医学や法律などの専門家集団がrespectable societyの中心を担うプロフェッショナライゼーションの時代であり、そこでもライセンスの発行や医師法・弁護士法などを通した行政の強い管理と規制が大きな役割を果たすようになったと考えてきた。後者の議論は、伝統的なジェントルマンの理念とモラルがこうしたプロフェッション社会の確立に大きく寄与したとする点で、最近のP.J.Cain+A.G.Hopkinsのジェントルマン資本主義の議論とも相通じるものがあるだろう。これらの通説をすべて否定するものではないけれども、19世紀末には医療、教育、法制度、レジャーなど様々な分野で、行政のレギュレーションの効力はむしろ急速に浸透する「市場の力」によって弱められていた。本研究は、とくに医療の分野に焦点を当て、(1)強まる消費社会の圧力が、健康を医者の権威の管理下に置くことに満足せず、市場に出回る数知れない健康器具・滋養強壮薬で買おうとする消費者を生んだこと、(2)営利目的の医療会社が生まれマーケットでの医療活動を始めたこと、(3)こうした医療の市場化が伝統的な医者たちとの摩擦を生んだこと、(4)健康を買おうとする消費者をターゲットにニセ医者が群がりでたこと、(5)多くの保険会社が医者を雇い医療検査を施して健康市場に参入しようとしていたこと、を明らかにした。