著者
藤澤 秀幸 フジサワ ヒデユキ Hideyuki FUJISAWA
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.36, pp.67-79, 2015

幸田露伴における死と救済は仏教的である。彼の場合、現世で死んだ人を救済する方法は転生である。この発想は伝統的で、新しくない。人間の世界から人間の世界への転生は水平方向への転生である。 他方、泉鏡花における死と救済には二つのパターンがある。一つは、死にそうな状況からの救済である。これは露伴には見られない特徴である。これは、年上の美しい女性によって救済されたいという鏡花の夢から生まれた鏡花文学の基本構造である。二つ目は、人間の世界での死が異界への転生によって救済されるというパターンである。この発想は新しい。これは垂直方向への転生である。 露伴と鏡花は対照的であるが、鏡花は露伴を超えていた。 The conception of death and relief in Rohan Kouda is like that of Buddhism. In his case, the method to give relief to a dead person in this world is through transmigration. This idea is traditional and is not new. Transmigration from the human world to the human world is transmigration in a horizontal direction. On the other hand, the conception of death and relief in Kyoka Izumi includes two patterns. One is relief from the situation of apparent death. This is a characteristic not to be seen to Rohan. This is a creation of the Kyoka literature that came out of a dream of Kyoka who wanted to receive relief from an older beautiful woman. The second is a pattern in which death in the human world is relieved by transmigration to a different world. This idea is new. This is transmigration in a vertical direction. Kyoka was in contrast to Rohan, and Kyoka surpassed Rohan.
著者
藤澤 秀幸 フジサワ ヒデユキ Hideyuki FUJISAWA
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要
巻号頁・発行日
vol.36, pp.67-79, 2015-03-31

幸田露伴における死と救済は仏教的である。彼の場合、現世で死んだ人を救済する方法は転生である。この発想は伝統的で、新しくない。人間の世界から人間の世界への転生は水平方向への転生である。 他方、泉鏡花における死と救済には二つのパターンがある。一つは、死にそうな状況からの救済である。これは露伴には見られない特徴である。これは、年上の美しい女性によって救済されたいという鏡花の夢から生まれた鏡花文学の基本構造である。二つ目は、人間の世界での死が異界への転生によって救済されるというパターンである。この発想は新しい。これは垂直方向への転生である。 露伴と鏡花は対照的であるが、鏡花は露伴を超えていた。