著者
松本 隆 マツモト タカシ Takashi MATSUMOTO
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.35, pp.286-271, 2014

1874年に翻訳出版された化学入門書『ものわり の はしご』の語彙、特に巻頭の用語解説付録「ことば の さだめ」の見出し項目を分析した。本書は、漢字と漢語を廃し、化学的な現象や物質名を含め、全文を平仮名の和語で訳しており、その語彙分析から主な特徴として次の3点を見出した。(1)和語による造語は、それまでの漢字を用いた造語の流れを汲んでおり、和語でも体系的で簡明な命名が可能である。(2)類義関係にある和語動詞群を使い分けることにより、混同しやすい類似の化学現象を区別して表現できる。(3)漢語よりも和語の方が、現実世界の事象を巧みに言語に写像し命名した例も見られる。つまり本書は、近代の西洋思想を和語で表現し、論旨の通った文章を平仮名で表記できることを、化学の分野で世に示した先駆的実践ということができる。
著者
藤本 勝義 フジモト カツヨシ Katsuyoshi FUJIMOTO
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.36, pp.31-48, 2015

源氏物語では重要な人物で死ぬ者が多い。それは、長編物語のためだけでなく、死そのものの意味があり、死で終わるのではなく、そのプロセスと、死後に残された者の思いが重視されているからと言える。本稿では、死のもたらすものと、死者の救済について考察し、仏教的な救済はもとより、源氏物語独自の救済の論理を把握しようとするものである。先ず、物の怪に憑依された人物を取り上げる。夕顔は、その死が娘などには知られないため、菩提を弔われることが少なく、成仏することがかなり遅れた。葵の上は、嘆き悲しむ光源氏の心からの哀悼により成仏したと考えてよい。しかし、光源氏がそこまで葵の上を愛していたとも思われない。別の理由も考えられる。死者の往生のためには、生前の本人の仏道への帰依と、残された者の供養が要請された。勤行の経験がほとんどなかった主に若い死者には、残された者の心からの追善供養が必要である。六条御息所を光源氏が、心をこめて菩提を弔うことはなかったと言ってよい。それは、死霊となる六条御息所の物語とも深く結びついていた。源氏物語では、死者の冥福に関して、追善供養と精神的救済が要請されているかのようである。紫の上は厚い信仰心と光源氏の心底からの供養によって極楽往生した。次に、亡霊として夢枕に立つ人物の救済だが、桐壺院は、光源氏による大々的な追善供養によって救われ、極楽往生したと考えられる。藤壺救済の道筋は、身代わりになってでも救いたいという光源氏の強い思いなどで、はっきりとつけられた。八の宮は、中の君が「幸い人」路線を進むことで、心の平安を得て成仏したと考えられる。源氏物語以外の作品では、光源氏など個人が、心の底から菩提を弔うといった、あくまで物語の精緻な展開に密着した描写は限られており、盛大な葬儀を行うことが、当事者の権勢を示すことに直接関わったり、源氏物語には決して描かれなかった挿話を記すなど、その質の違いが際立つのである。
著者
藤井 由紀子 フジイ ユキコ Yukiko FUJII
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.36, pp.7-29, 2015

本稿は、平安・鎌倉期の往生説話における「火車」の存在意義を考察することによって、当時の人々の〈死と救済〉の概念を探ったものである。まず、『今昔物語集』の済源伝を、『日本往生極楽記』に載る異伝と比較することによって、「火車」が「罪」と結びつくものであることを指摘した。さらに、『今昔物語集』と『宝物集』に載る悪人往生の「火車」説話を比較し、その罪が「五逆」に相当するような大罪であることを明らかにした。『宝物集』や『発心集』に載る「火車」説話は、『往生要集』を源泉として、臨終行儀と深く結びつくことによって成立している。それに対して、『今昔物語集』の「火車」説話は、その事件性に主眼があり、第三者の視線にさらされる「火車」の姿を示すことによって、のちに妖怪化する「火車」の怪異性を、先見的に示すものであったと位置づけた。 This paper examines concepts of death and salvation in the Heian and Kamakura periods by considering the reasons why Kasha appeared in the Setsuwa literature on passing into the next life. First, I point out that Kasha was connected with sin by comparing the biography of Saigen in Konjyaku monogatari shu with a different version of it contained in Nihon ojyo gokuraku ki. Furthermore, the sin turned out to be a serious one, equivalent to Gogyaku (the five Buddhist deadly sins) through a comparison of Kasha stories on a sinners death in Konjyaku monogatari shu and Hobutsu shu. Kasha tales in Hobutsu shu and Hosshin shu, whose source was Ojyo yo shu, were formed under the strong influence of Rinju Gyogi (Ars Moriendi). In contrast, an episode of Kasha in Konjyaku monogatari shu focuses a dramatic aspect of the story. It adumbrated the strangeness of Kasha which would become Yokai, depicting its figure exposed to the eyes of the third party.
著者
高林 陽展 タカバヤシ アキノブ Akinobu TAKABAYASHI
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.36, pp.182-160, 2015

本稿は、ミシェル・フーコーの規律化と統治性に関する議論を念頭におきつつ、20世紀前半のイングランドにおける精神病院とその患者の問題を検討するものである。フーコーは、18 ~ 19世紀のヨーロッパにおける精神病院の勃興について、非理性の代表格たる狂気を規律化し、理性を持つ者の側に復帰させるための啓蒙主義的試みとして論じた。このフーコーの議論をめぐっては、実証的な歴史学の立場から再検討が加えられ、実際の精神病院の現場では精神病者とその家族の利害が考慮されていたことが明らかとなった。しかし、こうした実証的な研究は、20 世紀の精神病院とその患者たちを視野の外に置いていた。それは、20 世紀の精神病院には19 世紀とは異なる特質が認められるためであった。19 世紀末になって狂気の規律化が失敗に終わりつつあることが徐々に認識されると、精神病院という施設を通じた規律化を高コストなものとして退け、ソーシャル・ワークを中心とした施設外での取り組みが増えていった。このような歴史的展開は、フーコーが「生権力」「統治性」と呼んだ概念の下でより鮮明に理解することができる。フーコーは、近代社会の特徴を、集団レベルでの生命の特性を把握し、その調整を行う権力である生権力、人口集団を政治経済的に統制するための様々な制度や戦術の動員を意味する統治性という二つの概念の下で論じた。つまり、フーコーは、規律化とは異なる管理と統治の技法の存在を示唆している。本稿は、その新たな管理と統治の技法が実際の精神医療の現場においても確認できるものかを問うものである。具体的には、ロンドン近郊に所在したクライバリ精神病院の運営委員会記録を分析し、20世紀前半の精神病者たちは果たして、生権力と統治性という、いわば精神医学の権力に服する存在だったのか。彼ら自身の主体性は認められないのかを検討した。分析の結果、精神病院と精神科医たちは多くの場合、患者とその家族の利害を汲んでいたことが明らかとなった。ただし、フーコーが論じた別の概念、統治手段としての家族、あるいは司牧的権力論を参照すると、患者の主体性を認めることは一概には望ましくないことも確認された。結論としては、20 世紀前半のイングランドにおける精神医療は、ソーシャル・ワークという新たなサービス形態を通じて、患者とその家族の生活へとアプローチし、そのチャンネルを通じた国民生命と健康の管理を目指したことが論じられた。 The aim of this paper is to examine the power relations regarding English mental hospitals in the first half of the twentieth century, paying particular attention to Michel Foucault's conceptions of institutionalization and governmentality. Foucault argued that the enlightenment between eighteenth and nineteenth centuries brought about the sudden rise of mental hospitals in Europe, where insanity, which was regarded as human irrationality, could be cured in the specialized institution, the lunatic asylum, by the exercise of reason. Such an enlightenment approach to lunacy was called "moral treatment". By the late nineteenth century, however, moral treatment had apparently shown its failure, since incurable lunatic patients were accumulated in asylums. Hence, English psychiatrists and welfare administrators thought lunatic asylums represented a high cost approach to the problem of lunacy, and therefore they began employing a new measure for prevention and after care for mental diseases: social work. With such a medico-administrative network for the control of mental diseases, English psychiatr y expanded its reach to the socially problematic families, which presumably corresponded to what Foucault called "governmentality"; a new technology of social control specialized for the social problems in the modern age. It was with this new technology that English psychiatry changed its way of control and mode of power from a vertical one in the institutional settings to a more ubiquitous one throughout the population. What this paper particularly argues for is to examine this historical model based on Foucault in the actual institutionoal and social work settings in the first part of the twentieth century. In doing so, it focuses on the Claybury Mental hospital, located in East London, whose surviving historical documents, particularly the minutes of the management committee, illuminate the practices of the mental hospital and social work. In so doing, it questions whether patients complied with the controlling power of psychiatry, and whether they negotiated with psychiatric authorities any agreements as to the conditions of treatment, social work and other welfare provisions. Furthermore, it also approaches another question; whether we can find any form of subjectivity regarding those who are suffering from mental diseases. To this end, this paper finds that psychiatric authorities, including mental hospitals, psychiatrists and social workers, considered well the interests of the patients and their families in providing services. However, it also argues that English psychiatr y did not acutually concede patients and their families free use of its services, but instead found an instrumental value in administering the problem of mental diseases through the channel of the family. English psychiatry allowed for the subjectivity of patients and their families only when its detective network worked properly and permeated their objects. Any complete deviation from the network was not allowed. In conclusion, therefore, this paper argues that English psychiatry attempted to extend its controlling mechanism, social work, to the depth of the socially problematic population; those who suffered mental diseases.
著者
松本 隆 マツモト タカシ Takashi MATSUMOTO
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 = Bulletin of Seisen University Research Institute for Cultural Science (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.37, pp.110-95, 2016

助詞の「は」と「が」の中には、どちらを選んでも文意に大差がなく、そこから受ける印象だけが異なるものがある。小説をはじめとする文芸作品では、こうした反転可能な「は/が」を、表現技法のひとつとして使い分け、微妙なニュアンス差を伝える事例が観察される。「は/が」の働きの違いを、そこから思い描かれる心象の差異に関連づけて解釈する見方が提案されている。本稿では、「は」を主観的な「寄り」の心象、「が」を客観的な「引き」の心象に対応させて、小説などの情景描写文における「は/が」の働きを検討した。その結果、「は/が」が、作品全体の構成と展開、細部における心象の構図調整、読者の視線誘導や心理操作などの機能を果たしていることを認めた。 Although the Japanese particles WA and GA differ in meaning and usage, occasionally they can convey almost the same meaning, with the only difference being the impression left by the sentence. We can observe many examples in which the rhetorical use of the interchangeable WA / GA particles conveys subtle differences in the meaning of expressions used in literary works such as novels. Some researchers have proposed an explanation of the differences in function between WA and GA, in relation to the imaginary pictures drawn in readers' minds provoked by the two particles. This paper hypothesized that WA corresponds to a subjective close view and GA to an objective distant view, and examined depictive descriptions which contain WA/GA in literary works such as novels. The conclusion was that WA and GA are concerned with the construction and development of the entire story, the detailed compositional adjustment of the story's imagery, the direction of the reader's gaze, and the psychology of the reader.
著者
今野 真二 Shinji KONNO 清泉女子大学 SEISEN UNIVERSITY
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.40, pp.1-20, 2019-03-31

いわゆる古本節用集は室町時代中頃に成り、『日葡辞書』は一六〇三年に成立している。ちかい時期に成ったこれら二つの辞書体資料は、室町時代の日本語の観察に使われることが少なくない。特に『日葡辞書』は見出しとして採用した日本語をアルファベットで書いているために、漢字や仮名で書いた場合にはわからない発音がわかる文献として重視されてきた。 標準語形の周囲を(場合によっては)複数の非標準語形がとりまいているというモデルを考えた場合に、非標準語形をどの程度辞書体資料が見出しとするかは、当該辞書体資料の編纂者、編纂目的等によって異なることが推測できる。そうであれば、『日葡辞書』がつねに「万能」ということにならないことはいうまでもない。『節用集』は(必須ではないにしても)見出しとして採用している漢字列に振仮名を施すことが多い。その振仮名は、書写原本のそれを踏襲することももちろんあろうが、書写者が自らの発音に基づいて施すこともあったと推測できる。『節用集』の振仮名は多様で、当該時期の非標準語形が振仮名として施されていることが少なくないことを具体的に指摘し、『日葡辞書』と『節用集』とを併せて観察することが室町時代の日本語研究には必要なことを指摘した。"Setsuyo-shu" is a Japanese dictionary that was completed in mid-Muromachi period, and "Nippo-jisho" is a Japanese dictionary completed in 1603. The two dictionaries have been used frequently to analyze the Japanese language of the Muromachi period. The word entries of "Setsuyo-shu" were written in kanji (Chinese characters) that are often attached with Japanese syllabaries. The word entries of "Nippo-jisho" were written in alphabetical order, interpreted in medieval Portuguese. Since the entries of "Nippo-jisho" were written in alphabet letters, it was possible to know the pronunciation of the Japanese words, unlike words written in Chinese characters or Japanese syllabaries. For example, if the Chinese character「洗濯」is written, the pronunciation of the word is unknown. However, if the word is written in the Jesuit form of alphabet " xendacu," then the pronunciation "sentaku" would be clear. Because of this, in the analysis of the Japanese language during the Muromachi period, there is a possibility that the "Nippo-jisho" was the best well-grounded choice. There are standard kinds of word forms and nonstandard kinds of word forms. In this paper, a model in which some nonstandard kinds of word forms surround the standard kinds of word forms was approached. The fact that not all of these nonstandard kinds of word forms were used as entry words in the "Nippo-jisho" is specifically indicated by comparing the entry words in the "Setsuyo-shu." Several nonstandard kinds of words often appear in the "Setsuyo-shu." The observation of the Japanese language during the Muromachi period will be made more precise with the use of "Nippo-jisho" and by placing the complete "Setsuyo-shu" as a document that reflects the "sway" of a language.
著者
愛甲 雄一 Yuichi AIKO 清泉女子大学 SEISEN UNIVERSITY
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 = BULLETIN OF SEISEN UNIVERSITY RESEARCH INSTITUTE FOR CULTURAL SCIENCE (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
pp.147-164, 2020-03-31

一般に国際政治学の中で多数派支配を意味する共和政は、平和と結び付けて語られることが多い。そうした語りを行なった人物の代表的事例がカントであるが、しかし『法の精神』の著者として知られるモンテスキューも、実は同様の指摘を行なっている。ただ国際政治学の中では長い間、このモンテスキューの議論はほとんど取り上げられないままに放置されてきた。そこで本稿では、この研究上の空白を埋めることを通じて、共和政の対外的関係というテーマを今後再考するための足掛かりを得ることを目指したい。 実はモンテスキューの主張は、カントのように、共和政それ自体を平和的と見なすものではない。この政体と対外的な好戦性とは本来矛盾する、というのが彼の見解であり、その理由として、共和政国家が論理的に小国でなくてはならないことが挙げられている。モンテスキューによれば、共和政が持続するためには、私益よりも公益を優先する「徳」が人びとの間に備わっていなければならない。だが徳の維持は大国であるほど難しく、ゆえに共和政は、領土拡大を旨とする好戦的姿勢と両立させることが困難である。こうして対外的な平和の追求が、共和政の維持にとっての必要条件になる。 ところが共和政の歴史は、この政体が好戦的になり得ることを示してきた。実際、マキャヴェリを始めとするモンテスキュー以前の共和主義者たちは、主にローマの事例から、共和政を好戦的あるいは膨張主義的な政体と位置付けていたのである。しかしモンテスキューからすれば、ローマの帝国化は「歴史の偶然」に過ぎず、それと共和政との間に必然的な関係は存在しない。ただ共和政が大国化し得ることは否定できない歴史上の事実であり、だからこそそれを防ぐために、幾つかの策を講じる必要がある。その防止策として彼が提示したのが、以下に挙げる3つの方策であった。すなわち、小国である共和国が連合してその防衛力を拡大させる「連合共和国」を結成すること、専制への防波堤としての自由な制限政体を保持すること、そして「商業の精神」の普及によって平等な社会状態を維持すること、の以上3点である。 今日、行き詰まりを見せる現代社会への処方箋として、「共和主義」の再興を唱える向きは少なくない。だが、共和政の対外的関係というテーマに関して言えば、この点をめぐる現代の共和主義者たちの関心は相対的に希薄なままに留まっている。本稿が示すモンテスキューの国際政治理論は、この文脈において、重要な示唆や知見を与えるものとなるのではあるまいか。

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著者
今野 真二 Shinji KONNO 清泉女子大学 SEISEN UNIVERSITY
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 = BULLETIN OF SEISEN UNIVERSITY RESEARCH INSTITUTE FOR CULTURAL SCIENCE (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
pp.1-22, 2020-03-31

漢字には「楷書体」「行書体」「草書体」の三つの「書体」がある。日本においては、「楷書体」をくずしたものが「行書体」で、「行書体」をくずしたものが「草書体」ととらえることが多い。しかし「くずす」ということは明確に定義されていない。本稿では、漢字の「草書体」をさらにくずしたものが「平仮名」であると位置付けた。そして、「楷書体」「行書体」「草書体」「平仮名」を、3・2・1・0と数値化して、これらの「書体」を説明することを提案した。これまでの研究においては、「書体」について説明することばがなかったので、この提案は有効なものと考える。In Japanese, there are three terms used to refer to the different styles of writing kanji characters: kaishotai (楷書体), gyōshotai (行書体), and sōsyotai (草書体). "Standard," or "noncursive" kaishotai characters that have been "broken" (くずした) are referred to as gyōshotai, and gyōshotai characters that have been futher "broken" are referred to as sōsyotai. However, the matter of "breaking" (くずす) kanji characters has not yet been adequately clarified. Therefore, this paper uses the term hiragana (平仮名) to refer to sōsyotai characters that have been futher "broken." it assigns the numbers 3, 2, 1, 0, respectively, to characters that are written in the kaishotai, gyōshotai, sōsyotai, and hiragana styles. Since in previous studies there has been no word to adequately clarify the notion of shotai (書体, handwiriting style) this proposal is considered to be valid.
著者
藤澤 秀幸 フジサワ ヒデユキ Hideyuki FUJISAWA
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.36, pp.67-79, 2015

幸田露伴における死と救済は仏教的である。彼の場合、現世で死んだ人を救済する方法は転生である。この発想は伝統的で、新しくない。人間の世界から人間の世界への転生は水平方向への転生である。 他方、泉鏡花における死と救済には二つのパターンがある。一つは、死にそうな状況からの救済である。これは露伴には見られない特徴である。これは、年上の美しい女性によって救済されたいという鏡花の夢から生まれた鏡花文学の基本構造である。二つ目は、人間の世界での死が異界への転生によって救済されるというパターンである。この発想は新しい。これは垂直方向への転生である。 露伴と鏡花は対照的であるが、鏡花は露伴を超えていた。 The conception of death and relief in Rohan Kouda is like that of Buddhism. In his case, the method to give relief to a dead person in this world is through transmigration. This idea is traditional and is not new. Transmigration from the human world to the human world is transmigration in a horizontal direction. On the other hand, the conception of death and relief in Kyoka Izumi includes two patterns. One is relief from the situation of apparent death. This is a characteristic not to be seen to Rohan. This is a creation of the Kyoka literature that came out of a dream of Kyoka who wanted to receive relief from an older beautiful woman. The second is a pattern in which death in the human world is relieved by transmigration to a different world. This idea is new. This is transmigration in a vertical direction. Kyoka was in contrast to Rohan, and Kyoka surpassed Rohan.
著者
今野 真二 コンノ シンジ Shinji KONNO
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.36, pp.103-122, 2015

本稿では、これまで行なわれてきている近代(日本)語研究に関して、幾つかの観点を設定して振り返り、今後どのような研究上の課題が残されているかということなどについて述べた。具体的な話題として、「かなづかい」と「連合関係」とを採りあげた。前者に関しては、「かなづかい」という枠組みの中、すなわち仮名によって語を書くという枠組みの中では、一つの語の書き方を一つに定めない「多表記性表記システム」が看取されるか否かが古代語と近代語とを分けるのではないかという仮説を示した。後者については、室町期の資料にみられる連合関係と同じような連合関係が明治期の資料にみられることを一つのモデルとして示し、「連合関係」がどのような範囲に成り立っているのかという観察が、「共時態」の検証の一方法になるのではないかという仮説を示した。 Recalling the researches that have been done on modern Japanese language, attempts were made in this paper to raise two questions. The questions were in regard to the use of Kana and the associative relationship of words. Regarding the use of Kana, a hypothesis was made that the modern language period had a "multidisplay writing system," which did not limit the writing variation of a word to one, but recognized various ways of writing; whereas the ancient language period did not have such a system. Regarding "associative relationship," a hypothesis was made that the continuity/discontinuity of words can be considered by inspecting whether there is a common relation between the word entry and its explanation in a dictionary. Although both questions raised are hypothetical at the moment, it is hoped that these hypotheses will be examined from various aspects in the future.
著者
荒尾 禎秀 Yoshihide ARAO 清泉女子大学 SEISEN UNIVERSITY
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 = BULLETIN OF SEISEN UNIVERSITY RESEARCH INSTITUTE FOR CULTURAL SCIENCE (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
pp.23-40, 2020-03-31

近世から近代にかけて刊行された漢文資料の中には、補読のための訓点の他に本行の漢字語の左側に振仮名のようにして訳解を付したものが少なからずある。この訳解の性格については、その付された漢字語の意味内容を補足するものだとされることが多い。しかしその証明は十分ではなく、訳解の性格や機能については未だ十分には明らかにされていない。本稿は、この訳解が口語的性格を持つことを確認した。 用いた資料は、中国版本を江戸時代後期に和刻した『福恵全書』である。その漢字語の左側に付された訳解に出現する助詞「ヘ」の多くが、同じ漢字語の漢文訓読としての助詞は「ニ」であることを指摘した。これまで、近世江戸言葉では口語に於いて助詞「ヘ」の使用は格助詞「ニ」の領域を著しく浸蝕していることが明らかにされている。『福恵全書』での事実もそれと軌を一にしている。ここから両者を重ね合せると、訳解に用いている助詞は漢文訓読の伝統的な助詞の用法に対して口語によるものであると考えられる。
著者
長野 太郎 ナガノ タロウ Taro NAGANO
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.35, pp.242-222, 2014

アメリカ合衆国における社交ダンス、とくにペアダンスの歴史には、つねにピューリタン的禁欲主義の問題が関わっていた。こうした禁欲主義は、マックス・ヴェーバーの言う資本主義の精神の根本にあり、人々の行動を内と外から統制してきた。つまり、労働の対極にあるものとしてダンスを遠ざける一方で、道徳的な観点からの糾弾もなされてきた。また同様に、人種、階層、ジェンダーなどの社会的変数が歴史状況に応じて交渉される、接触領域の存在も重要である。本稿では、もっとも米国的な社交ダンスが登場した1920 年代に注目する。 El ascetismo puritano ha estado presente en la historia del baile social en Estados Unidos, sobre todo en relación con el baile de pareja. Dicho ascetismo, elemento constitutivo fundamental del espíritu del capitalismo según Max Weber, ejerce control sobre los comportamientos de las personas desde dentro y desde fuera: por un lado, debido a la reprobación del baile como enemigo del trabajo y a la polémica moralizante por otro. Asimismo, otro factor a considerar es el de las zonas de contacto, que cambian según los momentos históricos, donde las diferentes variables sociales como la raza, la clase social o el género entran en juego. Se presta atención especial a los años 20 cuando los bailes modernos típicamente estadounidenses aparecieron.
著者
今野 真二 Shinji KONNO 清泉女子大学 SEISEN UNIVERSITY
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 = BULLETIN OF SEISEN UNIVERSITY RESEARCH INSTITUTE FOR CULTURAL SCIENCE (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
2018-03-31

本稿では十六世紀半ば頃に編纂された「いろは分類」を採る辞書体資料である『運歩色葉集』を採りあげ、「同一と思われる見出しが異なる双つの部に掲げられる」「双掲」という現象に着目した。『運歩色葉集』は「ゐ・え・お」を部としてたてておらず、これらをそれぞれ「い・ゑ・を」部に併せ、全てで四十四部をたてる。したがって、多くの和語は「双掲」されない。「双掲」されている見出しの数は必ずしも多くはないが、拗音、長音が含まれている語がほとんどである。拗音、長音は、室町末期頃までには日本語の音韻として確立していたと考えられており、そうした音韻を含む漢語は、十六世紀半ばにおいても、仮名による「書き方」が揺れていなかった可能性がたかい。漢語は漢字で書くことが標準的であり、漢語の全形を仮名で書くことは必ずしも多くはない。したがって、漢語をどのように仮名で書くかということ自体が、和語と同様に関心事であったとは考えにくい。室町末期頃までに編まれた仮名遣書も、漢語を採りあげることは少ない。そうしたことが、仮名による漢語の書き方が揺れる一因となったことはいえようが、『運歩色葉集』における見出しの「双掲」は「二つの書き方」のどちらからでも求める見出しにたどりつけるための「工夫」といってよい。 In this paper, "Unpoirohashu", title of a dictionary which was edited around 1547, is the focus of analysis. In this dictionary, words that begin with "i" is placed in the "i grouping" just as the entry words are in "iroha" (Japanese alphabetical) order. However, around 1547 the distinction of pronunciation had already disappeared. "I" (い・ゐ) "e" (え・ゑ) "o" (お・を) were grouped in one section, and within that section there were the "i" grouping, "e" grouping, and "o" grouping. In total, there were 44 groupings. Thus, until around 1547 words written with "i" (い~) and (ゐ~) were all in the "i" grouping and those who used the dictionary did not have the problem of finding the words, as one word was not divided into two separate groupings. However, the word "youshou" was found in the "e" (えの部) grouping and "yo" (よの部) grouping. It is assumed that this happened because during those days the same words were written in two different ways "euseu" and "youseu". Such phenomenon is called "soukei". It was pointed out that "soukei" suggests that there were two different ways of writing this word. This writing of one word expressed in two ways can be regarded as "Multi-Expressive Notation System" (Tahyoukisei Hyouki System). Until now the "Multi-Expressive Notation System" was thought to have been administered in the Edo period, but this research highlighted that the previous stage of this system had already been developed before then in the 16th century.
著者
姫野 敦子 ヒメノ アツコ Atsuko HIMENO
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.36, pp.49-65, 2015

中世の日本文学において、死、そして救済はどのように捉えられていたのかを世阿弥(生没年一三六三?〜一四四三?)作の能「鵺」を通じて考えた。中世文学における「救済」は、仏教的意味での「往生」として表される。つまり「六道輪廻」という苦しみから抜け出る方策が、「往生」である。世阿弥の時代前後の「修羅能」では、終末部に弔いを頼み、成仏を願う様が描かれる一方で、「鵺」では成仏が約束されてはいない。これは、「鵺」という畜生道の存在が影響していると考察し、作者の世阿弥は、成仏の困難さを描くことで、より観客へ訴える能をつくっていったと結論づけた。 In Japanese literature of the Middle Ages, how was death and its relief represented? I thought through a Noh-play "Nue" by Zeami (1363? ~1443?). In medieval literature is expressed as "Ojo" in the meaning of Buddhism. "Ojo" is a way of getting away from the pains known as the "transmigration in the six worlds." Entering Nirvana is not promised in "Nue", but I ask for a postlude to mourning with "Shura- Noh" in the times of Zeami, and I describe a state of hope of entering Nirvana. I conseder the influence of the "Hell of Beasts" on "Nue" and conseder that this gave Zeami a stranger means of appealing to audiences by showing the difficulties of entering Nirvana.

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著者
今野 真二 コンノ シンジ Shinji KONNO
出版者
清泉女子大学人文科学研究所
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
no.35, pp.41-67, 2014

江戸期に出版された版本が明治期に書写されたものを「明治の写本」と呼ぶことにする。そうした明治の写本は文学研究においては、採りあげられることはほとんどない。しかし、実際はそうしたものがある程度のひろがりをもって存在していることが推測される。本稿では、稿者が所持する明治十九年に写された『夢想兵衛胡蝶物語』(文化七年刊)を分析対象とした。版本と写本との対照によって、さまざまな言語事象についての知見を得ることができた。写本の振仮名においては、版本の語形の短呼形を振仮名として施している例が少なからずあり、当該時期に長音形/短呼形に「揺れ」が生じていた可能性がある。 A textbook that was published in the Edo Period was reproduced in the Meiji Period. This type of textbook is not generally considered as valuable in the field of literature research. However, in some cases, it can be accepted as a valid resource material in the field of linguistics. The Japanese language has changed over the years from the Edo Period to the Meiji Period. Such a process of change can be seen by comparing the textbook published in the Edo Period with the textbooks reproduced in the Meiji Period. From the contrast examined in this paper, with regards to whether the prolonged sound was recognized or not in the Meiji Period, it was pointed out that the word form may have been deviated. Moreover, it was also found that there may have a deviation in the special syllables such as the geminated consonant and the syllabic nasal. Furthermore, in order to indicate the inflectional form of the subjective case and the objective case, differences in whether the particle has been used or not can be found in both textbooks, however, it was concluded that such a condition constantly exists in the Japanese language.
著者
松本 隆 Takashi MATSUMOTO 清泉女子大学 SEISEN UNIVERSITY
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要 = BULLETIN OF SEISEN UNIVERSITY RESEARCH INSTITUTE FOR CULTURAL SCIENCE (ISSN:09109234)
巻号頁・発行日
pp.237-254, 2020-03-31

童話「ごんぎつね」の草稿と定稿を中心に、小学校国語教科書に掲載された9種の文章と合わせて計11種類の異本を比較検討した。 視点を示唆する言語指標をもとに分析したところ、(1)草稿と(2)定稿における語りの特徴的な差異として次の3点を確認した。草稿は、(1a)キツネがヒトの村に出て「行く」物語である。(1b)語り手はキツネの側からの「見え」を一定の距離感を保って語り、(1c)伝統的な民話風の語り方がなされる。定稿は、(2a)ヒトの村にキツネが出て「来る」物語である。(2b)語りはヒトからの「見え」を基調とするが、キツネの視線に重ね合わせた語りも交える。(2c)外側と内側から状況に応じた語りを組み合わせ、現代の小説に通じる心理描写がなされる。 教科書は、(3)平成末年の5種と、(4)昭和30~40年代の4種を調査した。(3)平成の教科書は、典拠とする(2)定稿を尊重し、作品をほぼそのまま掲載している。しかし、(2)定稿の特に最終節が、(1)草稿に比べて、視点を示す言語指標に乏しく混乱が生じがちなため、一部の教科書は最終節の段落構成を再編し、読みを誘導している。(4)昭和の教科書は、原典の尊重よりも、視点の整合性や、物語展開の平明さなどの教材性を優先し、改作や圧縮などの加工を施している。