- 著者
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家井 美千子
IEI MICHIKO
- 出版者
- 岩手大学人文社会科学部
- 雑誌
- アルテス リベラレス (ISSN:03854183)
- 巻号頁・発行日
- no.93, pp.15-31, 2014-03
宮澤賢治の残した『銀河鉄道の夜』は,その存在が知られてから継続して数多くの読者に読まれ,今もなお論じ続けられる作品である。従って,現在も「銀河鉄道」的なイメージ画像・映像を日本中の至るところで見かけることができる。殊に岩手県は宮澤賢治が生まれ育った地であるため,彼の残した詩や童話のイメージを有効な観光資源として活かしており,ポスターや看板などにさまざまな「宮澤賢治的なイメージ」を見ることができる。その顕著なものが『銀河鉄道の夜』のイメージであろう。また岩手大学でも,宮澤賢治の母校の盛岡高等農林学校が岩手大学の前身の一つであることから,大学ホームページの「学長あいさつ」において,大学の特徴の一つとして「宮澤賢治も学んだ歴史と伝統」をあげているなど,宮澤賢治の出身校であることを大学の教育に活かそうとしているし,2014年度の大学案内の表紙でも『銀河鉄道の夜』の表現を引用している。このように多種で多数の読者を持つ宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の読まれかたについて,私は最近になって違和感を持つようになった。なぜなら,前記した「銀河鉄道」イメージの画像の多くが,「蒸気機関車に牽引される列車」であるからだ。出版されている各種の『銀河鉄道の夜』の表紙や挿絵にも,蒸気機関車を描くものが少なくない。小学生高学年で,『校本宮沢賢治全集』(以下「校本全集」)の作業前の混乱した本文であった『銀河鉄道の夜』を読んで以来,私は『銀河鉄道の夜』の「銀河鉄道」に蒸気機関車が走っているとは全く考えてこなかった。むしろ「蒸気機関ではない別の乗物」を描いているのだ,と考えてきたのである。「銀河鉄道=蒸気機関車の鉄道」と読む傾向に気付いて以降,私は,校本全集が成立した後の現在よく読まれている『銀河鉄道の夜』(例えば,ちくま文庫版の「宮沢賢治全集」所収のものなど)を再読したが,やはり上述の考えを変更する必要はないと考えている。つまり,『銀河鉄道の夜』の読みで,「銀河鉄道=蒸気機関車の鉄道」は誤読であろうと考えているのだ。しかし,こうした考えを学生たちをはじめとした他の読者に示すと,驚かれることが多い。何故こうした誤読が起こるのかは興味深い問題だが,現段階では,まずは「銀河鉄道=蒸気機関車の鉄道」と読むことは不適当であることを明示し,併せて「銀河鉄道」の動力の選択(蒸気機関ではないこと)は何故なされたのかを考察することを本稿の目的とする。