著者
数馬 広二 KAZUMA Koji
出版者
工学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

江戸時代上野国に存在した剣術流派の中で強い継承力(約600年)をもった馬庭念流(まにわねんりゅう)を中心に、上野国(新田郡・群馬郡・多胡郡・甘楽郡・緑埜郡の武蔵国国境地域、)武蔵国(比企郡・秩父郡)の調査を通し、苗字や刀を持った農民が、学んだ剣術流派継承の実態(門人階層、経営状況、修行内容)を明らかにすることを目的とした。(1)新田郡において1770年〜1781年まで、39村で門人が確認され、免許を受けた新田岩松家由緒・田部井源兵衛(たべいげんべえ)が道場を開き、妻沼聖天宮など3神社に額を奉納(1854年)していた。門人は利根川沿岸の河岸問屋、日光例幣使街道沿いの商人、名主などであった。(2)多胡郡において1685年〜1835年までの門人所在村(入門者数)は、36村で、通算入門者数は馬庭村(289名)、吉井町・宿(79名)多比良村(68名)などが多かった。また馬庭村・松本家は、江戸時代初期、門人を指導していたことがあった。(僧偽庵よりの書状)(3)上野国甘楽郡・緑埜郡の武蔵国との国境域で1685〜1864年までの門人所在村は12村で、入門者合計で多い村から挙げれば、鬼石村(28名)、神原村(19名)、三波川村(18名)保美村(16名)などが多かった。(4)門人は、名主家、中世武士の系譜をもつ名主家や河岸業で成功した商人などがあり、彼らは馬庭念流が行った奉納額活動などの事業をバックアップするだけの経済的力量を持っていた。(5)上野国には、天真甲源一刀流、真之真石川流、小野派一刀流なども存在した。これらの調査は今後の課題とする。
著者
数馬 広二 KAZUMA Koji
出版者
工学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究は、江戸幕末期、関東農村で農民の身体文化の一部と位置づけられる剣術の普及とその意義を明らかにすることを目的とする。とくに、上野国(馬庭念流)・下野国(神道無念流)農村における武術流派運営の実態を調査した。(1)上野国甘楽郡の馬庭念流門人調査上野国甘楽郡内の馬庭念流門人は78村域。門人は七日市藩士(前田家)、小幡藩士(織田家 松平家)、「関守」「僧」「医師」「農民」などであった。とくに「砥石」「蒟蒻」信州米、上州絹の商取引で栄えた宿場町(下仁田町・一宮町・富岡町)に門人が多く確認された。また門人であった関守・神戸家、市川家は信濃国佐久郡への新田開発や藩への献金も行っており、馬庭念流が信濃国への門人を拡大する上で大きな役割を果たしたと考えられる。また馬庭念流が伊勢神宮へ姓名額を奉納した件では、18世樋口十郎右衛門定伊が七日市藩士として中山道の交通上の特権に恵まれ、滞りなく行われたことがわかった。このことは近世剣術流派の一事業である奉額活動が藩によって支えられた事実を示す初めての研究であった。(2)下野国太平山神社の奉納額の調査栃木県大平町にある太平山神社に奉納された武術姓名額(倉庫に保管)について枚数、姓名などにつき調査を行い、的確な番号付けと再配置を行った。作業は5日間合計作業人足は26名となった。合計84枚の額のうち剣術は、神道無念流(文政6年・嘉永7年・慶應丁卯年)の計3枚、弓術は日置流・大和流(明治28年)・奉納弓術会(明治35年)、砲術は、武衛流(慶応3年)、外記流(年代不明)であった。