- 著者
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鈴木 健一
Ken’ichi Suzuki
- 出版者
- 学習院大学人文科学研究所
- 雑誌
- 人文 (ISSN:18817920)
- 巻号頁・発行日
- no.17, pp.79-94, 2019-03
近世初期、藤原惺窩に学んだ儒学者たちが漢学の世界を領導した。なかでも林羅山はひときわ抜きん出た存在だったと言えるが、羅山のみが屹立していたわけではない。堀杏庵(一五八五〜一六四二)も、尾張徳川家という権威と結び付き、医の要素を大きく有した点が独自で、かつ羅山ともよく連携し、この時代の漢学界を盛り立てるのに大きく貢献した。それらの点によって、杏庵にも高い評価が与えられるべきであろう。本稿では、そのような問題意識に基づき、Ⅰ仕官以前(天正十三年〜慶長十六年)、Ⅱ浅野家への仕官(慶長十六年〜元和八年)、Ⅲ尾張徳川家への仕官(元和八年〜寛永十九年)という三期に分けて、杏庵の人生を年譜形式によって概括する。特に、若い時期の医師としての修業過程や、羅山との親交、第Ⅲ期、尾張徳川家に仕官した、四十歳前後からの儒学者としての名声の高まりなどが注目に値しよう。