著者
大沼 保昭 MALKSOO Lauri
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2006

日本が国際社会に参加を開始した当時のロシアの国際法的及び外交的な基本的立場の定式化を行った、私と同国人であるエストニア生まれの国際法学者のフリードリッヒ・マルテンス(1845-1909>への関心から私の研究は始まった。日本滞在中、マルテンスの対象とした19世紀後半のロシアの国際法的外交的立場の単なる記述から、ヨーロッパ中心主義的国際法の受容態度の日露両国の比較考察という新たな視角を獲得することができた。この結果、「18世紀より20世紀にいたるロシアの国際法学史」に関する研究の草稿を完成させることができた。結論的には日露両国のヨーロッパ中心主義的な国際法秩序への参加には、従来考えられてきた以上に類似性と相違性がともに存在することが判明した。まず両国はヨーロッパ中心主義的国際法理論のコピーに努めたが、これは同時に西欧に対する自国の周辺性を両国がともに受諾したことを意味する。しかし第一次大戦後(及びロシアでは社会主義革命後)、西欧列強の偽善の一つに過ぎないとして、両国の国際法理論は従来の国際法の普遍性主張に対して懐疑的な方向へと向かっていった。ところが1945年以降、敗戦国日本は普遍主義的、西欧中心的な主流的立場に回帰したが、主要戦勝国であったロシアは1991年のソ連邦崩壊まで反西欧的国際法理論を採用してきた。だが今日では、異なる文明は異なる国際法観を有するので、国際法に関して文際的(文明間の対話の)観点が不可欠である旨主張する大沼保昭教授と類似の主張を行う論者がロシアにおいても存在するに至っている。共産主義イデオロギーが敗退した今日のロシアは、今後、1917年以前の西欧中心主義的な主流的国際法思考に回帰するのか、それとも「人権」等の西欧的概念に対抗しつつ独自の文明観に立つアプローチを展開するのかが最大の問題であるといえる。