著者
新山 喜嗣 Niiyama Yoshitsugu
出版者
秋田大学大学院医学系研究科保健学専攻
雑誌
秋田大学大学院医学系研究科保健学専攻紀要 (ISSN:18840167)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.21-32, 2018-10-31

自分は死によって,「完全な非在」となるのか,それとも,「不完全な非在」として残存するかを論点とした.始めに,仮に自分の死が完全な非在になるとしたとき,自分の死を意味する「私はいない」という本来は語用論的に誤りとなるべき語りが,いかにしてわれわれの日常会話の中で成立しうるのかを検討した.この過程において,カプグラ症候群がもつ臨床的特徴から,二人称には 「このもの性」を持つときと持たないときの二重性があることを確認した.この二重性は,一人称としての語りである 「私はいない」という語りが,あたかも成立するかのような錯覚をもたらすことになる.結局,「私はいない」という語りは錯覚としてしか成立しえず,自分の完全な非在は実のところ二人称の他者の死を意味するものである.次に,自分の死が不完全な非在であるとしたとき,そのような不完全な非在が,他者の死としての他の不完全な非在と融合せずに,独立して存在できるか否かを検討した.この過程において,ドッペルゲンガーが持つ臨床的特徴から,存在者の同一性は原始的な原理であることを確認した.このことから,自分の不完全な非在は,生あるときの単独性を持つ自分と同一性という原始的な原理で連結し,結局,自分の不完全な非在にも単独性という性質がもたらされることになる.よって,自分の死が不完全な非在であるとしたとき,その自分の 不完全な非在は,死後も独立した個別者として存続することになる.Is death“complete non-existence”or“incomplete non-existence”? First of all, assuming my own death will be“complete non-existence”, the utterance“that I am not”would be an error from the perspective of pragmatics. In everyday conversation, however, this seems as if it were not a mistake. Let us examine why. In this process, from the viewpoint of the clinical features of Capgras syndrome, the second person has duality; in other words, there are two cases—one where the second person has“haecceity”and one where the second person does not have“haecceity”. This duality creates the illusion that the utterance“that I am not”is established. Ultimately, the utterance“that I am not”cannot be established, and “complete non-existence”in fact means not my own death but the deaths of others. Next, let us assume that my own death will be“incomplete non-existence”. At that time, could the“incomplete nonexistence”of my own death exist independently without fusing with the“incomplete non-existence”of others’deaths? In this process, from the viewpoint of the clinical features of Doppelgänger syndrome, the identity of the existence is confirmed as a fundamental principle. From this, my“incomplete non-existence”would link with my living“uniqueness”by the fundamental principle of identity and this identity brings the property of“uniqueness”to“incomplete nonexistence”. Therefore, my“incomplete non-existence”will continue to be a full independent existence after death.
著者
雄鹿 賢哉 新山 喜嗣 OGA Kenya NIIYAMA Yoshitsugu
出版者
秋田大学大学院医学系研究科保健学専攻
雑誌
秋田大学大学院医学系研究科保健学専攻紀要 (ISSN:18840167)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.129-137, 2015-10-31

統合失調症患者へ音楽活動を提供するにあたり, 「生演奏」と「録音演奏」との間での音楽聴取形態の違いに着目し, 「生演奏」によって, ノンバーバルな水準での治療者と患者の間での相互交流が形成されるか否かを検討した.対象は, 精神科病棟に入院中で, 本研究の目的と方法を説明した上で同意・署名を得られた, 明らかに認知機能障害や精神遅滞を有さない統合失調症患者53名とした.音楽形態における生演奏(セラピストによるエレクトーン演奏) と録音演奏(エレクトーン演奏を同装置から再生)との間の比較を主眼とし, 同じ3曲15分間を, それぞれの音楽形態で聴取した. 評価指標は, 心理状態の測定として気分調査票The Mood Inventory (以下MOOD) を行った.生演奏聴取前後を比較した結果, 生演奏聴取後の「爽快感」と, 「くつろいだ気分だ」の項目に有意な改善が得られた(P<0.01, 0.05). また生演奏では, 対象者が演奏のたびに拍手や声援をセラピストに送る様子が見られた. この結果から, 精神科作業療法における音楽活動を実践する際には, 生演奏はバーバルな水準での関与が困難な患者に対しても有効な, 治療導入時の手段やセラピストと患者間の関係作りとなりえる可能性があり, さらには外部からの感覚入力の手段としても有効であることが推測された.
著者
新山 喜嗣 NIIYAMA Yoshitsugu
出版者
秋田大学大学院医学系研究科保健学専攻
雑誌
秋田大学大学院医学系研究科保健学専攻紀要 (ISSN:18840167)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.1-13, 2016-10-31

地球上に生命が誕生してから37億年になるが, 実のところその半分以上を占める20億年の間は生物の死は絶対的なものではなかった. 生物に寿命としての絶対的な死が伴うようになったのは, 生物が原核生物から真核生物に進化してからのこの17億年間のことである. この絶対的な死をもたらす要因の一つに, ヘイフリック限界の名で呼ばれる細胞分裂の回数制限がある. さらに, 生物は加齢に伴って生存に不適切な細胞が増えるが, そのような細胞はアポトーシスと呼ばれるメカニズムによって秩序正しく除去される. このように, 生物には身体の内部に積極的に死をもたらす仕組みがあるが, 一定の期間を越えて個体が生存しないことが種の存続という点では有利であることから, そのような生物種のみが現在まで地球上に残っているのかもしれない. しかし, 将来には予想外の科学技術の進歩によって,生存期間に制限がない生物種が存在しても種の存続に不都合が生じない可能性がある. もっとも, 現代の宇宙物理学が示すところでは, 生物の身体を構成する原子が宇宙に存在できるのも永遠ではない. このことからすれば, 自然科学の中で生命を捉える限り, 「永遠の生命」はあくまで相対的なものとなる.