著者
NISHIMURA Takahiro
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第II部門 社会科学・生活科学 (ISSN:03893456)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.11-22, 2016-09-30

This study analyzes the development of the "Militarization" of the national parks in Japan before and during the pacific war. The two main purposes of national parks held by the motion of the law, namely "recreation and health preservation of the nation" and "enlightenment of the nation", grew progressively more militaristic and nationalistic during this time period. The former was interpreted to imply training for military and national defense. The latter was connected with patriotism. This development of the discourse can be explained by the fact that gaining the consensus of the military regime was necessary for the promotion of national parks. This example of political ingratiation by nature conservation factions reflects a similar fate which befell nature conservation in the period of the Nazi regime in Germany. These examples show that the rationale for nature conservation can be explained with various kinds of ideologies, but gaining consensus is always vital to its success. The examples analyzed by this study show that we must be aware of the connections between ideologies and nature conservation as a consensus-making tool.本稿は,本誌に掲載された拙稿「『国立公園』から『国土と健民』へ──国立公園の意義をめぐる言説の変遷(1929-1944)」(60巻2号,2012年)に基づくものである。前稿では,国立公園協会において国立公園の意義がどのように主張されたのか,その変遷をたどった。本稿では,そのアウトラインを英語で再現した上で,当時の厚生省による国立公園政策の分析を新たに追加した。そのため,特に国立公文書館の二つの史料,「国民錬成地体制確立要綱」ならびに厚生省健民局「第八十四回帝国議会関係」を用いた。これらの史料から導き出されたのは以下の点である。1国立公園は単なる「錬成地」の一つとして位置づけられたこと。2あらゆる自然地を「錬成地」として保護するため,国立公園法の他に「国民錬成地法」が起草されており,広範な自然地の保護が目指されていたこと。3国立公園協会に代わる「国民錬成地協会」の組織が考えられていたこと,その結果が,国立公園協会の「国土健民会」への改組であったこと。4最終的には,国立公園は結核対策要綱上の「弱者」に対する「修練」の場として位置づけられ,この位置づけにおいてさらに六つの国立公園指定が予定されていたこと。これらと前稿の内容を合わせることにより,国立公園の父と言われる田村剛の戦時中の所論は,厚生省の政策方針のうち1〜3と重なることが示される。国立公園協会は1943年,「聖戦」の完遂のための国民体力増強を目的として「国土健民会」へと改組された。そのわずか6年後に,「平和的文化国家再建」への寄与を目指して国立公園協会が復活したのは,驚くべきことである。こうした指摘を行うのは,例えばドイツの状況と比較して,戦時中の議論の反省がまったく進んでいない日本の状況に違和感を持つからであり,さらに,自然保護の意義づけをめぐる議論が自然科学の枠を超えて広がるためには,その歴史の検討も必要であると考えるからである。