著者
奥谷 めぐみ 鈴木 真由子
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第II部門 社会科学・生活科学 (ISSN:03893456)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.23-34, 2011-09-30

アニメやテレビゲーム,漫画,音楽,ファッションといった幼児期から青年期をターゲットとした子どもをとりまく消費文化は1980年代以降,顕著に発展した文化である。そこで,本研究では高度情報社会における消費文化の変遷や,これらのマーケティングや市場の動向,メディアツール,インターネットの発展がもたらす,子どもの消費文化との接触のあり方を生活課題の一つとして捉え検討することを目的とする。調査方法として,消費文化が発展し始めた1970年代から2000年代にかけて,消費文化に関する特徴的な事象,環境の変容を先行研究等から整理した。その結果,子どもをとりまく消費文化の時代的特徴が把握できた。1970年代後半から,子どもをふくめ大衆は同じ欲求をもって消費文化に関するモノ・サービスを消費してきた。1990年代以降,モノ・サービスの多様化,メディアの発展,価値観の多様化が生じ,消費文化においても細分化が生じていることが明らかになった。こうした消費文化の変遷や,メディアツールの変化といった子どもの周辺で起きている環境変化から,4つの生活課題を抽出した。まず,メディア,消費文化への没頭が挙げられる。次に,消費文化やサービスに関わっていない第三者には見えにくい,新しい価値観が生じている点である。さらに,SNSを中心とするインターネットコミュニケーションが宣伝としての役割を持ち始め,子どもを中心に強い影響を与えている可能性が指摘できる。最後に,消費の場面がバーチャル化したことで,金銭に対する価値が見えにくくなっている。そのため,従来とは異なる金銭教育の必要性があることが明らかになった。子どもをターゲットにした消費のなかで生じている問題は第三者から見えにくいものであり,子どもと共に解決の方向性を問い直し気づかせる必要性が不可欠であると考える。Japanese youth culture, animation and computer games, music, fashion, has expend remarkable since 1980s. The purpose of this paper is taking up influence of consumer culture around children, and marketing for young consumer as problems in daily life. So, based on precedence research, it is sorted out the change of consumer culture from 1970s when consumer culture start to expend to 2000s. The general public had same desire and expanded same materials and service on consumer culture from1970s to 1980s. But, diversification of materials, service and value, and development of media ware happened from 1990s. Four problems are picked up from change of consumer culture. First, children are absorbed in consumer culture and media. Second, value of material and service are change, outsiders of consumer culture or service can't understand these values. Third, social networking service functions as advertisement. And children who can't control desire and information are greatly influenced. Finally, people trade various materials and service on virtual. Therefore, it is necessary to focus on sense of the value of money.
著者
NISHIMURA Takahiro
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第II部門 社会科学・生活科学 (ISSN:03893456)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.11-22, 2016-09-30

This study analyzes the development of the "Militarization" of the national parks in Japan before and during the pacific war. The two main purposes of national parks held by the motion of the law, namely "recreation and health preservation of the nation" and "enlightenment of the nation", grew progressively more militaristic and nationalistic during this time period. The former was interpreted to imply training for military and national defense. The latter was connected with patriotism. This development of the discourse can be explained by the fact that gaining the consensus of the military regime was necessary for the promotion of national parks. This example of political ingratiation by nature conservation factions reflects a similar fate which befell nature conservation in the period of the Nazi regime in Germany. These examples show that the rationale for nature conservation can be explained with various kinds of ideologies, but gaining consensus is always vital to its success. The examples analyzed by this study show that we must be aware of the connections between ideologies and nature conservation as a consensus-making tool.本稿は,本誌に掲載された拙稿「『国立公園』から『国土と健民』へ──国立公園の意義をめぐる言説の変遷(1929-1944)」(60巻2号,2012年)に基づくものである。前稿では,国立公園協会において国立公園の意義がどのように主張されたのか,その変遷をたどった。本稿では,そのアウトラインを英語で再現した上で,当時の厚生省による国立公園政策の分析を新たに追加した。そのため,特に国立公文書館の二つの史料,「国民錬成地体制確立要綱」ならびに厚生省健民局「第八十四回帝国議会関係」を用いた。これらの史料から導き出されたのは以下の点である。1国立公園は単なる「錬成地」の一つとして位置づけられたこと。2あらゆる自然地を「錬成地」として保護するため,国立公園法の他に「国民錬成地法」が起草されており,広範な自然地の保護が目指されていたこと。3国立公園協会に代わる「国民錬成地協会」の組織が考えられていたこと,その結果が,国立公園協会の「国土健民会」への改組であったこと。4最終的には,国立公園は結核対策要綱上の「弱者」に対する「修練」の場として位置づけられ,この位置づけにおいてさらに六つの国立公園指定が予定されていたこと。これらと前稿の内容を合わせることにより,国立公園の父と言われる田村剛の戦時中の所論は,厚生省の政策方針のうち1〜3と重なることが示される。国立公園協会は1943年,「聖戦」の完遂のための国民体力増強を目的として「国土健民会」へと改組された。そのわずか6年後に,「平和的文化国家再建」への寄与を目指して国立公園協会が復活したのは,驚くべきことである。こうした指摘を行うのは,例えばドイツの状況と比較して,戦時中の議論の反省がまったく進んでいない日本の状況に違和感を持つからであり,さらに,自然保護の意義づけをめぐる議論が自然科学の枠を超えて広がるためには,その歴史の検討も必要であると考えるからである。
著者
井代 彬雄
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第II部門 社会科学・生活科学 (ISSN:03893456)
巻号頁・発行日
vol.32, no.2-3, pp.119-128, 1984-01-31 (Released:2009-12-07)

この小論は,ナチズムとヨーロッパ文化に深く根ざしているカトリシズムとの関係を明らかにしようとする作業の一前提として,ナチ党とカトリック政党である中央党(Zentrumspartei)との関係を,主にヴァイマール共和制時代よりナチス体制初頭にかけての期間に限定しつつ,考察しようとしたものである。「中産階級にバイアスをおく結集政党」としてのナチ党は,周知の如く,かなり巾広くドイツ国民全体を自己の勢力下に結集していった。だがしかし,伝統的に中央党などを支持してきたドイツ・カトリック人民は,そう簡単にナチ党に征圧されてしまうことなく,最後まで伝統的政治態度を棄てなかった。カトリック教徒のナチ党に対する免疫性が指摘される所以である。しかしこうした指摘もさらに検討の必要性があるし,カトリック人民から中央党指導層に視点を移せば,ナチズムに対する免疫性以上に,むしろそれとの親近性を指摘する必要も出てくるのである。本論において,ナチズムと中央党との関係が,まさに収斂するナチ党による1933年3月24日の「全権委任法」への歴史過程の考察を通じて,冒頭に掲げた作業の一端を明らかにしたい。 Wie und warum war Hitler möglich? Keine Darstellung über das Ende der Weimarer Republik oder den Beginn der nationalsozialistischen Herrschaft kann sich den Sog dieser zentralen Frage der jüngsten deutschen Geschichte entziehen. Besonders "die Frage, die es sachlich zu klären gilt, ist diese: Wie konnte es dazu kommen, deß die maßgebenden geistlichen und geistlichen Führer des deutschen Katholizismus im Jahre1933in Hitler und dem NS-Staat Wegbereiter einer umfassenden Erneuerung sahen und nachdrücklich zur positiven Mitarbeit und zur Unterstützung des NS-Regimes aufriefen?" (E, W, Böckenförde) Diese Frage ist nicht hinreichend beantwortet, wenn man nicht die allen geschichtlichen und struktullen Zusammenhängen zwischen dem Nationalsozialismus und der deutschen katholischen Zentrumspartei vollendet analysiert. In dieser Abhandlung beschränkt sich der Autor auf die Frage den geschichtsentwicklungsgang der beiden sozialpolitischen Gruppenwechselwirkungen. Wir können zum Schluß eine bestimmten Affinität unter den Führer dieser beiden sozialpolitischen Gruppen in der Haltung über Bolschewismus erkennen.
著者
西村 貴裕
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第II部門 社会科学・生活科学 (ISSN:03893456)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.1-18, 2012-02-29

本稿は,自然保護をめぐる議論が戦前・戦中にどのようなイデオロギーと結びつき得たかを分析するものである。国立公園制度の意義について,雑誌『国立公園』(1929~44年,1943年からは『国土と健民』と改称)誌上に掲載された論考を追い,国立公園が「国民精神」の涵養のため,あるいは戦争に耐え得る心身を作る「鍛錬」のため利用されるべきだと主張されるに至った経緯を分析する。さらに,こうした日本の言説に対応するドイツでの郷土保護・自然保護をめぐる言説を紹介し,その対比を若干試みる。In diesem Artikel analysiere ich die Entwicklung des Diskurses über die Bedeutung des Nationalparks in Japan während der Kriegszeit anhand der Zeitschrift "Nationalpark" (1929-1944). Hier wird gezeigt, daß genau der Diskurs, den Thomas Lekan als "Militalisierung von Natur und Heimat" bezeichnete, gab es auch in Japan. Darüber hinaus war der Diskurs in Japan gut vergleichbar mit dem in Deutschland während der Nazi Zeit. Diese Tatsache zeigt, daß wir über die Bedeutung des Naturschutzes tief reflektieren müssen.