著者
ブライシュ エリック 冨増 四季 駒村 圭吾 奈須 祐治 東川 浩二 Erik Bleich Tomimatsu Shiki Komamura Keigo Nasu Yuji Higashikawa Koji
出版者
金沢大学人間社会研究域法学系
雑誌
金沢法学 (ISSN:0451324X)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.165-261, 2018-07

1. シンポジウム『ヘイト・スピーチはどこまで規制できるか』 企画・司会 東川浩二2. 基調講演「ヘイト・スピーチとは何か」 エリック・ブライシュ/ 東川浩二(訳)3.「ヘイトスピーチ事案における不正行為法・填補賠償法理の担う役割の再評価~京都・徳島事件を題材に、反差別(差別被害への共感醸成)の運動展開の文脈において」 弁護士 冨増四季4. ヘイトスピーチ規制賛成論に対するいくつかの疑問 ー憲法学的観点、政治学的観点、哲学的観点のそれぞれからー 駒村圭吾5. ヘイト・スピーチと「公の施設」 川崎市ガイドラインを素材として 奈須祐治
著者
奈須 祐治 ナス ユウジ NASU YUJI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学法学論集 (ISSN:02863286)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.133-186, 2016-03

本稿は,ジョン・ポール・スティーブンズ(John Paul Stevens)の法理論を検討する予備作業として,そのバイオグラフィを描出するものである。スティーブンズは1975年12月19日から2010年6月29日まで,34年を超える長期にわたって連邦最高裁の陪席判事を務めた。なぜこのアメリカの一判事を日本で紹介する必要があるのか。これにはいくつかの狙いがある。まず,日本の憲法学におけるアメリカ法研究はかなり蓄積しているものの,個々の裁判官のバイオグラフィにまで立ち入って,その司法哲学を研究する業績はいまだ少ない。アメリカ連邦最高裁判決の法廷意見は,通常1人の判事によって執筆され,その判事の司法哲学や方法論が解釈論に強く反映することが多い。そして,個々の裁判官の司法哲学や方法論を知るために,そのバイオグラフィを調べる必要がしばしば生じる。アメリカで個々の裁判官の分析が以前から盛んに行われているのはそのためである。アメリカ法研究が相当に深化したわが国においても,そのような研究を進める必要がある。それではなぜスティーブンズなのか。アメリカ連邦最高裁の判事には優れた業績を残した者が多く,どちらかと言えばスティーブンズは日本では有名ではない。しかし,その方法論,及び実体的な憲法解釈論は魅力的で,日本において詳しく紹介する価値が高い。方法論について言えば,スティーブンズは硬直的で柔軟性を欠く審査基準・テストを用いる最高裁多数派と真っ向から対立し,柔軟な方法論を用いてきた。この方法論はドイツやカナダ等で用いられる比例原則に近いもので,日本の最高裁の審査手法とも類似している。この点でスティーブンズは「異端」であるが,スティーブンズの方法論を触媒にしてアメリカの判例を再読することにより,アメリカの法理を日本に応用することがより容易になる。また,最近アメリカにおいて,スティーブンズの方法論を支持する立場から,そもそも最高裁多数派が硬直的な審査基準・テストを額面通りに用いていないのではないかという指摘もなされている(e.g.,Fleming 2006, at 2311; Araiza 2011, at 939-42)。それが事実であれば,スティーブンズは常に異端であったわけではなかったことになる。むしろスティーブンズの意見の検討により,アメリカの判例を正しく読み直すことができるのである。スティーブンズの実体的解釈論も非常に興味深い。後に触れるように,スティーブンズは,貧しい人々や人種的・民族的マイノリティ等の社会的弱者を包摂する,公正で開かれた民主政の構築に尽力してきた。また,スティーブンズは憲法第5及び第14修正に規定された「自由(liberty)」を根拠に,自己決定権を広く保障する立場に立ち,早くから同性間の性行為の自由を規制することが違憲であるとする判断を示していた。さらには「自由」の背景的価値に「尊厳(dignity)」を読み込み,受刑者等の弱者の権利を強く保障する意見を数多く執筆してきた。また,スティーブンズは徹底して手続的公正にこだわり,権力に対する拘束を重視してきたことでも知られている。激しい格差が存在し,いまだ黒人を初めとするマイノリティの地位向上が満足に進まない現在のアメリカ社会を見れば,このような弱者の権利を強く保障しようとするスティーブンズの憲法解釈は,合衆国憲法を進歩的に解釈する試みとして注目される。実際に,スティーブンズは制定者意思を重視する原意主義(originalism)を強く批判し,憲法を社会の変化に合わせて柔軟に解釈する姿勢をはっきりと示している(Amann 2012, at 751)。こうしたスティーブンズの解釈論を検証することにより,近時ますます保守化が進んでいると言われる連邦最高裁の判例法理の問題点を浮き彫りにすることができるだろう。スティーブンズの法理における,方法論と実体的解釈論の連関にも注意が必要である(Eisgruber 1992, at 33)。たとえば連邦最高裁において,日本国憲法解釈としても受容されている表現内容規制/内容中立的規制二分論が法人による選挙運動資金の支出を広く認めるために用いられたり,マイノリティの地位を向上するために打ち出されたアファーマティブ・アクションに,人種的マイノリティを差別する法令に用いられる厳格審査が適用されたりすることがあった。これに対し,硬直的な法理を用いることが進歩を妨げうることをスティーブンズは鋭敏に認識してきたように思われる。これまで日本のアメリカ憲法研究の多くは,連邦最高裁多数派のとる硬直的方法論を支持していたように見受けられる。スティーブンズの意見の検証により,こうした方法論をわが国に導入することが大きな問題を生じかねないことを明らかにできるのではないだろうか。以上のような認識の下,筆者はスティーブンズの経歴,司法哲学,方法論及び実体的な憲法解釈論について詳細に研究を進めることとした。本稿ではまずスティーブンズの経歴を検討することとし,別稿において順次,その方法論,そして実体的解釈論の検討へと移る。スティーブンズは,ロー・スクールに入学するまでは波乱に満ちた人生を送っている。そして,それ以降はまさに典型的なエリートのキャリアを辿った。スティーブンズのバイオグラフィを調べてみると,人生の各段階において法解釈の手法や憲法観に影響を与える事件や出会いがあったことが分かる。スティーブンズのバイオグラフィはアメリカにおいて詳細に分析されてきたが,本稿ではそのような先行業績に依拠しつつ,特に重要な事項に絞って叙述していきたい。