著者
尾上 修悟 オノエ シュウゴ ONOE SHUGO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学経済学論集 (ISSN:02863294)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.1-48, 2015-12

ギリシャは周知のように,巨額の公的債務を抱えたことから,2010年以来,再三にわたってディフォールトの危機に晒された。それを回避するために,ギリシャはEU,ECB,並びにIMFから成るいわゆるトロイカ体制によって金融支援を受け,それと引換えに厳しい引締め政策と構造改革を強いられた。ギリシャの一般市民の生活は,この5年間で困窮ぶりを極めた。失業の増大や賃金・年金の減少は,一挙に人々を貧困に追い込んだのである。それは,ほとんど人道的危機とも言える状況であった。ギリシャ市民は,そのような悲惨な生活を送る中で,既成政党の政策に対する反感を非常に強めた。こうした市民の動きが,ついに新しい政権を誕生させたのである。2015年1月25日のギリシャの総選挙において,A.ツィプラス(Tsipras)の率いるシリザ(Syriza)が勝利を収めた。一般に急進左派連合と称されるシリザは,2012年の選挙で急激に台頭してから3年でついに政権を握った。既成政党以外の左派政党が勝利したのは,戦後のギリシャで初めてであった。それが欧州全体,及び全世界に与えた衝撃は極めて大きかった。ただ,ギリシャ国内においては,戦後の左翼勢力の継続的な大きさからして,とりたてて驚くほどのものではなかった。とりわけ2012年の欧州による第2次金融支援以降におけるギリシャの経済・社会状況の著しい悪化は,人々の気持を,彗星の如く現れたシリザの支持に傾かせた。かれらこそが,我々を救ってくれるという思いを一般市民は抱いた。そして,そうした思いはギリシャのみならず,スペインを代表とする他の南欧諸国の人々,ひいては欧州全体の左翼を支持する人々に伝
わったのである。一体,シリザはどのようにして勝利したか,かれらを勝利に導いたのは何であったか,かれらの基本方針は何であるか,あるいはまたその勝利の影響はどのように現れたか。思い浮かぶ問いは尽きない。本稿の目的は,これらの問題を検討しながら,ツィプラス政権がギリシャで成立したことの経済・社会・政治的意味を総合的に考えることである。
著者
尾上 修悟 オノエ シュウゴ ONOE SHUGO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学経済学論集 (ISSN:02863294)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.49-96, 2016-09

ツィプラス政権は,シリザのマニフェストで明らかにされたように,欧州と決別するつもりはなかった。かれらは,あくまでもユーロ圏に留まることを前提として,これまでに遂行されてきた緊縮政策から脱出し,自律的で内発的な構造改革を推進することを意図した。その上で債権団に対して金融支援を求めること,これがツィプラス政権の基本的なねらいであった。果して,それはスムーズに達せられたであろうか。そこには様々な問題が潜んでいた。首相のツィプラスにしても財務相のヴァルゥファキスにしても,対外的な交渉は初めての経験であった。ヴァルゥファキスに至っては,政治家としての経験も皆無であった。かれらにとって,交渉の直接的対象となるユーログループがいかなる組織でどのように運営されているかを知る由もなかった。主たる交渉相手が,政治家というよりはむしろEUのテクノクラートであったことも,かれらにとって大きな障害になったことは容易に想像できる。他方で,他のユーロ圏のパートナーが,そもそもツィプラス政権の基本的政策に対して反対する姿勢を強く示したことは,交渉を一層難しくさせた。ドイツはもちろんのこと,南欧の盟主であり,ギリシャをサポートできるはずのフランスさえも,規律を守る責任と義務を強調しながらかれらに譲歩する姿勢を示さなかったのである。さらには,ツィプラス政権が一枚岩の政策を打ち出すことができなかったことは,大きなマイナス耍因となった。シリザの党内において,穏健派と過激派の対立が当初より見られたし,また連立与党内においても,シリザと独立ギリシャ人党との間で意見の食違いが生じたのである。以上のような様々な要因が絡む中で,ギリシャと債権団の金融支援交渉は初めから難航し,最終的に決裂した。本稿の目的は,そのプロセスを詳細に追跡しながら,一体,両者の間で何が問題になったかを明らかにすることである。そうすることによって,それらの問題が,ギリシャと欧州にとって何を意味するかを考えること,それが本稿の間接的動機となっている。