著者
Osterkamp Sven
出版者
京都大学大学院文学研究科言語学研究室
雑誌
京都大学言語学研究 (ISSN:13497804)
巻号頁・発行日
no.29, pp.77-151, 2010

本稿では、欧米における日本語の研究史において重要な意義をもっているにもかかわらず、これまでほとんど注目されてこなかった資料として東洋学者Andreas Muler (1630~1694)のSyllabarium Japanicum (日本の音節文字)を取り上げる。特に、同書のラテン語原文を英訳した上で、彼の研究に利用された資料が何であるかを明らかにすることを目的とする。Peter Komicki氏によって『七ッいろは』の写本の一つが同書の出典として夙に突き止められていたが、本研究によってMulerは『七ッいろは』以外にもColadoによる『日本文典』および『羅西日辞典』、さらに「海篇』類の字書によく登場する「いろは」と琉球語の語葉集を利用していたことが明らかになった。つづいて、Syllabarium Japanicumのみならず、あまたあるMullerの著作から日本語に関する記述について議論する。彼の著作には日本語とトルコ語が類型論的に似ているといった興味深い指摘を見ることができる。初期中国学者として知られているMu11erの研究とSyllabarium Japanicumの成立には、1661年にプランデンブツレク選手持侯によって開設された図書館(現ベルリン国立図書館)とその漢籍コレクションが大きく関わっている。Mullerの作成した目録によると、『字海』と呼ばれる字書が1683年に漢籍コレクションに加えられたという。本研究では、欧州に所在する『海篇』類字書群の歴史を17世紀から現在に至るまで辿り、このベルリン所蔵の『字海』の具体的な候補として、『音韻字海』と呼ばれる字書が最も有力であるという結論に達した。Syllabarium Japanicumの成立年は遺憾ながら厳密には不詳とするほかはないが、『宇海Jが初めて使われるようになった年代やMullerの活躍時期などを考慮に入れれば、1683~1685年の聞と推定できる。もしそうであれば、この著作こそがドイツ語圏における日本文字の紹介・研究書として最初のものということになる。
著者
田窪 行則 OSTERKAMP Sven
出版者
京都大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009

平成22年度には新資料の発見がいくつかあったが、主なものとしては、バチカン図書館蔵『伊呂波』と、シーボルト旧蔵にかかるマンチェスター・ジョンライランズ図書館現蔵『倭語類解』との欧洲所在朝鮮資料2点である。前年度に始めたそれらの調査を平成23年度にも続けた。後者に関しては、Medhurst編『朝鮮偉國語彙』(1835年刊)の前半の底本となったものであるということがわかったが、マンチェスター本『倭語類解』のみならず、『語彙』の後半のもととなった和刻本『朝鮮千字文』(Sturler旧蔵、パリ国立図書館現蔵)などをも調査した結果を2012年1月の教授就任講義で改めて取り上げ、今後『語彙』の成立過程と出典をテーマとした小論としてまとめる予定である。また、平成23年度には新たに、『朝鮮通信考』なる写本(京都大学附属図書館蔵)に「諺文いろは」が載せてあることを発見した。寛永13年(1636年)の朝鮮通信使の際、朝鮮人文弘績が林羅山と筆談する時に記したと見られるものである。とすれば、18世紀のものがほとんどの、先行研究において指摘されてきた「諺文いろは」の諸本よりも一世紀近く早いものということになる。従って、朝鮮資料のみならず一般的に日本語音韻史の研究にとって好資料となると思われる。特に、その原形がこの「諺文いろは」とほぼ同じ年代に遡るとされている原刊本『捷解新語』のハングル音注に矛盾するところが少なくないという点で、示唆に富む資料といえる。平成23年度内に発表した論文としては、まず、管見に入った若干の補遺を加えるとともに西洋の学界に紹介する目的で、2009年刊行の『譯學書文献目録』(遠藤光暁他編)の書評を執筆した。これ以外に、広く朝鮮時代におけるハングルによる外国語表記を扱った小論も平成23年に出たが、朝鮮資料の日本語表記などにも触れている。
著者
Osterkamp Sven
出版者
京都大学大学院文学研究科言語学研究室
雑誌
京都大学言語学研究 (ISSN:13497804)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.77-151, 2010-12-25

本稿では、欧米における日本語の研究史において重要な意義をもっているにもかかわらず、これまでほとんど注目されてこなかった資料として東洋学者Andreas Muler (1630~1694)のSyllabarium Japanicum (日本の音節文字)を取り上げる。特に、同書のラテン語原文を英訳した上で、彼の研究に利用された資料が何であるかを明らかにすることを目的とする。Peter Komicki氏によって『七ッいろは』の写本の一つが同書の出典として夙に突き止められていたが、本研究によってMulerは『七ッいろは』以外にもColadoによる『日本文典』および『羅西日辞典』、さらに「海篇』類の字書によく登場する「いろは」と琉球語の語葉集を利用していたことが明らかになった。つづいて、Syllabarium Japanicumのみならず、あまたあるMullerの著作から日本語に関する記述について議論する。彼の著作には日本語とトルコ語が類型論的に似ているといった興味深い指摘を見ることができる。初期中国学者として知られているMu11erの研究とSyllabarium Japanicumの成立には、1661年にプランデンブツレク選手持侯によって開設された図書館(現ベルリン国立図書館)とその漢籍コレクションが大きく関わっている。Mullerの作成した目録によると、『字海』と呼ばれる字書が1683年に漢籍コレクションに加えられたという。本研究では、欧州に所在する『海篇』類字書群の歴史を17世紀から現在に至るまで辿り、このベルリン所蔵の『字海』の具体的な候補として、『音韻字海』と呼ばれる字書が最も有力であるという結論に達した。Syllabarium Japanicumの成立年は遺憾ながら厳密には不詳とするほかはないが、『宇海Jが初めて使われるようになった年代やMullerの活躍時期などを考慮に入れれば、1683~1685年の聞と推定できる。もしそうであれば、この著作こそがドイツ語圏における日本文字の紹介・研究書として最初のものということになる。