著者
飯田 卓 Taku Iida
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.227-285, 2007-02-02

海外渡航がきびしく制限されていた昭和20–30年代,海外フィールド調査を\志す人類学者の多くが,マスメディア企業の後援を受けたエクスペディション\を組織した。こうしたエクスペディションには映画カメラマンが同行すること\が多く,長編記録映画の興行的成功がエクスペディションの採算を合わせてい\た。また,新聞記者が同行することも多かった。新聞の紙面では,調査活動が\速報されるほか,めずらしい写真や専門的な発見・知見が伝えられ,学術活動\の広範なアウトリーチがおこなわれた。また,新聞社主催の展示会や講演会,\映画会なども盛んにおこなわれた。\ しかし,1963 年頃から,アカデミズムとマスメディアの連携は成り立たなく\なっていく。テレビの登場と海外旅行自由化によって映画産業がふるわなくな\り,エクスペディションによる収益が見こめなくなったのである。また,外貨\割り当てが必要なくなり,マスメディア企業が独自取材をおこないやすくなっ\たのも原因であろう。一部の海外調査隊はテレビと連携したが,この方式は定\着しなかった。同じ頃,文部省が海外学術調査を制度的に認め,研究活動に回\される資金が増えたため,研究者の側もマスメディアとの連携を重んじなく\なった。昭和30年代におけるアカデミズムとマスメディアの連携は,政府に\よる調査支援が不十分だった時代の一時的なものではあったが,人類学的調査\の重要性を国民に広く知らしめる結果となった。