著者
Tarek Chehidi
出版者
Japan Association for Middle East Studies (JAMES)
雑誌
日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.175-207, 2001-03-31 (Released:2018-03-30)

アラブ世界における近代化問題に関する論争は,多くの関心を集めてきた。その結果,アラブ社会とその近代化の試みに関する研究(特にエジプトのムハンマド・アリー期以降)が多数生み出されてきた。その研究の多くは,アラブおよび非アラブの思想家たち(彼らの思想は,彼らと同世代および後の世代が近代化を認識して望まれるべき社会・政治的再建が行われるに至ったスペクトルを形成したと考えられる)に焦点を当てている。その思想家たちの関心と行動を形成したとされる基本的仮定としては,(a)その知識層はイスラームの環境によって生み出され,且つ,彼らの動機は2つの最も大きな一神教であるキリスト教とイスラームの果てなき衝突の枠組みで発展したと考えられること,そして,(b)その思想家たちの社会的影響は統治エリートを通して表れたこと,が挙げられる。しかしながら,チュニジアでは近代化をイスラームとの衝突と見なさず,統治者と特権層を思想と書物の唯一の対象とはしなかった思想家が現れた。アル=ターヒル・アル=ハッダード(al-Tahir al-Haddad,以下ハッダード)である。彼は思想家であると同時に熱烈な活動家であり,一言語使用者であった。彼は,本来イスラームは,社会の全ての成員(特権層も貧困層も同様に)による純然な協力によって実現され得る永続的発展を求めていることを主張した。アル=ウンマ・アル=トゥーニシーヤ(al-ummah al-tuuisiyyah)の発展と幸福は彼の至上目標であった。多くの者は,彼の目標をイスラームの教えに背く現世への熱望であると考えたが,ハッダードはそのような考えに反駁した。彼は,物質的快楽の実直な追求は,アッラーの意志に反するものではなく,生きる価値ある生活への専心は崇拝につながっていると考えたのである。しかし,宗教的立証が多大な影響を与えた社会において,ハッダードは自分の思想をイスラーム的適合性で補う必要があった。よって,彼は明白に,全てのムスリムにとって自助,思想の自由および平等性はイスラームの定めであることを論証した。それらの導きを守ることにより,ウンマは賞賛されるべき生活への条件が整えられるようになった。1899年生まれのハッダードは自らの思想を生き甲斐にし,自らの思想によって闘争的思想家の範例となり,1935年にその生涯を終えた。本論では20世紀初頭30年間のチュニジア社会に関するハッダードの著作を基に,彼の思想の宗教的・世俗的要素を明らかにすることを試みる。さらに,同時代のチュニジア人たちの悪しき状況の改善を提案したハッダードの方法を述べる。そして,宗教,思想的自由の概念,およびその概念と社会解放との関連(労働者や女性を含む貧困層の教育問題解決のための基本要因として)に係わる思想家の言説を提示する。よって,他の著名なムスリム思想家を時折参照することになるが,本論では,彼らの思想とハッダードの判断の比較に関する言及は最小限にとどめ,それについては読者の思慮に委ねることとする。但し,ハッダードがそれらの思想家と区別できる点を示しておくと,それは,啓示に関する彼の認識,来世と現世の関係の概念,変化と発展に関する洞察,自らの思想への絶対的な責務である。その一例としては,ハッダードはイジュティハード(ijtihad)の新しい解釈(アブドゥフが要求したような)は求めるべきでないとし,人間生活の本来の特徴である変化を考慮に入れ,必要な場合には不適切な裁断の破棄と代案を要求したことを挙げることができる。