著者
YAMAUCHI Tomosaburo
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第Ⅰ部門, 人文科学 = Memoirs of Osaka Kyoiku University (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.25-35, 2013-09

プラトニズムとキリスト教に発する西洋の二大伝統思想は,およそ二千年を経て習合して,ルネッサンスに至り,西洋近代主義を生み出すことになった。ところが現代においては,地球環境危機の原因として西洋近代主義が批判されるようになった。西洋近代主義はもはや人類を主導する力と影響力を失った。われわれを導く道徳の原動力はプラトンのイデアでもキリスト教の神でもなく,また進歩した機械技術,国際資本主義,人権や国家主権でもないとすれば,人類はもはや思想を失って,ニーチェが予言したようなニヒリズムに陥って無思想になってしまったように見える。他方,我が国では,戦後,伝統思想が何か悪いことのように考えられ教えられなくなった。しかも従来追従してきた西洋近代思想が力を失った状況では,無思想状態に陥っているように見える。この窮状から脱却する方法として考えられるのは,伝統思想の長所を見直し,西洋近代主義の短所を批判して,両者の長所を採り入れる批判的継承しかないのではないかと考えられる。本稿では,プラトニズムと儒教の自然観の決定的な差異にも拘らず,両者の社会倫理(倫理・政治)においては不思議な一致が見られる点を論じ,この一致が儒教を倫理・政治のイデオロジーとした江戸時代の幕藩体制における武士階級の役割と,プラトンの理想国における防衛者階級の役割のあいだに顕著に見られることを指摘した。この東西の社会倫理における一致には,東西を架橋する社会倫理の萌芽が見られる。