著者
奥中 康人 オクナカ ヤスト Yasuto OKUNAKA
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.22, pp.19-36, 2022-03-31

『陸海軍喇叭譜』(1885)が刊行される以前の日本陸軍は、フランスのラッパ譜を用いたことが知られているが、それ以上の詳細はよく分かっていなかった。筆者は、すでに3点の手書きのラッパ譜を用いて調査を行ったが(奥中 2019)、その後、新たに2点のラッパ譜を閲覧する機会を得た。一つは、明治9年頃に野口吉右衛門というラッパ手が記したと思われるラッパ譜、もう一つは、明治15年に渡邉三四郎というラッパ手が記したラッパ譜である。これら5点のラッパ譜を比較検討することで、明治9年から18年までの期間に、陸軍がどのようなラッパ譜を用いたか、その実態をより詳細に明らかにすることが可能となった。調査の結果、フランスに起源をもつ50~70種類程度のラッパ信号が用いられていたこと、隊号は明治9年以降に改定されたこと、そして、2重奏や3重奏を含む6曲のラッパ行進曲が存在したことなどが判明した。
著者
奥中 康人 オクナカ ヤスト Yasuto OKUNAKA
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.23, pp.11-28, 2023-03-31

日本における西洋楽器製造の歴史は、オルガンやピアノ、ヴァイオリンの製造史に偏りがちで、金管楽器製造については、あまり調査されてこなかった。少し有名な江川仙太郎でさえ不正確な情報が多い。そこで、本稿は、明治期に金管楽器を製造していた職工について、雑誌記事や博覧会の記録に基づき、整理することを目的としている。 草創期における代表的な製造業者は、大阪では江名常三郎と上野為吉、東京では宮本勝三郎、江川仙太郎、田邊鐘太郎である。かれらの多くは、楽器の修理と信号ラッパの製造からスタートし、やがてコルネットやバリトンのような金管楽器を製造することになった。