著者
関口 由彦 Yoshihiko Sekiguchi
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.29, no.3, pp.467-494, 2005-02-23

本稿は,近代日本の「他者像」としての「アイヌ」像を検討し,アイヌ民族(とくにアイヌ言論人)自らがそれをどのように「自画像」として主体的に受容したかを明らかにする。そのことを通して,1920~30年代を中心とするアイヌの人々の言論活動が,支配者側が用いた「同化」概念を「流用」しながら,「滅び行く人種」言説に抗するものに他ならなかったことを主張する。支配者側の「同化」概念に対して,アイヌ言論人は二種類の「流用」をもってして対抗した。それは,支酉己者側の「同化」概念の「流用」に際しての主体性の発揮の仕方において区別され得るものであった。違星北斗は,「野蛮」/「文明」という価値づけ(序列)と結びつかない「血」に基づいて,「和人」と区別された「アイヌ」という「種的同一性」を設定し,それが上位カテゴリーとしての「日本人」に内包されることを「同化」として捉えた。他方で,平村幸雄は,「アイヌ」であることと「和人」であることが両立し得るとするアイデンティティ認識に基づいた「和人化」としての「同化」を主張した。かくして,二種類の「流用」を行うことで,アイヌ言論人は支配者側の「滅び行く人種」言説に対抗し,アイヌとしてのアイデンティティを保持する道を切り拓いたのであった。