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日本書紀の天武天皇元年(672年)七月乙卯の、 『将軍等不破宮に向ふ。因て大友皇子の頭を捧げて営前に献る。』 ですね。(『訓読日本書紀 下』(黒板勝美編・岩波文庫・昭和19年版の↓による) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1159888/173 (なぜ、『日本書紀をはじめ大津宮で亡くなった、行方知らずとなった・・・という表記にとどめてい』る ...
>隋の皇帝は手紙の内容にブチぎれたらしいですが >なぜ小野妹子は殺されず無事帰国してるのでしょうか? 不思議に思われますか?であれば、そもそも、ホントに激怒したのか?、ホントにブチぎれたのか?、ってところから考えた方が良いのではないですか? 他の回答にも書きましたが、隋書には「帝覽之不悅」しか書いてありませんよ。不悅の悦の意味は、国語辞典とかを引いて頂ければわかります。 例えば、 ...

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善光寺の近くに鎮座する水内大社(健御名方富命彦神別神社)。 番組内では説明が有りませんでしたが、『日本書紀』巻第三十の持統天皇五年八月辛酉条に「使者を遣はして、龍田の風神、信濃の須波、水内等の神を祭らしむ」と記されている水内神の論社です。 https://t.co/Ll828vJNy0 #ブラタモリ
@goshuinchou 筍じゃなくて笥。 『日本書紀』にも「角鹿の笥飯大神」「笥飯神」と書かれている古い表記です。 https://t.co/f6z4BrxH6H https://t.co/bcYaw3Fson https://t.co/Ro98m80uUe
岩波文庫 黒板勝美編「訓読日本書紀」(https://t.co/syXZ7Tax6L)より。 「秋七月、東國(あづま)の不盡河(ふじかは)の邊(ほとり)の人大生部多(おほふべのおほ)、虫を祭ることを、村里の人に勸(すゝ)めて曰く、此は常世(とこよ)の神なり、此の神を祭る者は富と壽(いのち)とを至さむ。…」
例えば、岩波文庫版『訓読日本書紀』だと、用明紀https://t.co/FERnNTRDylに「厩戸皇子」とあり、「豊耳聡」「聖徳」などの別名が挙げられています。 推古紀https://t.co/87JLRN2kicだと「上宮厩戸豊聡耳太子」。 でも、「厩戸王」なんて無い。 https://t.co/RyRbL5B8f5
例えば、岩波文庫版『訓読日本書紀』だと、用明紀https://t.co/FERnNTRDylに「厩戸皇子」とあり、「豊耳聡」「聖徳」などの別名が挙げられています。 推古紀https://t.co/87JLRN2kicだと「上宮厩戸豊聡耳太子」。 でも、「厩戸王」なんて無い。 https://t.co/RyRbL5B8f5
@HisadomeK 沙門道行の話は『日本書紀』天智天皇七年の記事 https://t.co/QiMNN5Uo2k 「是の歳、沙門道行、草薙剣を盗みて新羅に逃げ向く。而して中路に風雨にあひて、荒迷ひて帰る」に拠ります。

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編集者: 小出-小坂井
2021-09-29 22:53:19 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

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