9 0 0 0 OA 春日権現験記

著者
板橋貫雄//〔模写〕
出版者
巻号頁・発行日
vol.第19軸, 1870

言及状況

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不意の遭遇でもない限り基本的に矢戦は互いに楯を前面にかざしてその後ろから射る形態をとると考えれば、さぞ根気のいる持久戦だったことかと。これも鎌倉時代後期の春日権現験記絵より。 https://t.co/dRrqSr3D0T https://t.co/uEGs6Oh1Zt
もう一つの手鉾の登場場面には虹が描かれているが、漢籍にあるような凶兆という印象はないな。手鉾の類以外にも棒を担いでいる者がいるが、前の場面で俵を天秤棒で担ぐ人々と違って太刀を佩用しているからもう少し上の身分だし、それとは違う警護用の棒と見てよさそうかな。 https://t.co/RGcpC7f1Ii
前にもちょっと紹介しましたけど反りがなく刺突用だったと考えられる手鉾は『春日権現験記絵』内を探してみるとまだありましたね。 ↓は特に反りがあり刃渡りが大きい普通の薙刀と横並びになっていて描き分けがはっきりわかります。 https://t.co/pgIE9PZ16g
以下『春日権現験記』の楯突戦の場面で射殺された徒歩武者の反りのない薙刀様の得物が「手鉾」の一例らしいのですが、これがもう少し長い柄についていたら菊池槍の仲間のように見えてしまうのではないかと思います。 https://t.co/dRrqSr3D0T
『春日権現験記』第19軸、1309年ころ、板橋貫雄模写、1870年 https://t.co/sWaEt64YFi https://t.co/n3pId6hN4t https://t.co/Ea3mzju9DX

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