4 3 1 0 OA 日本民俗学

著者
中山太郎 著
出版者
大岡山書店
巻号頁・発行日
vol.〔第1-4〕 隨筆篇, 1931

言及状況

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三松俊季氏の息子を訪問した民俗学者が三松家祖廟の由緒書き(おそらく「椿井文書」,P.44,中公新書の写真の物)を木津の阿部さんに頼んだと記録してるということは、 三松俊季から聴いて1911年三宅氏が記録したお話しも、木津の業者さんへ #椿井文書 を頼んだというお話しでは? https://t.co/IswDvttPj0 https://t.co/a5f0liGQMg
。三宅源治郎へ朱智神社中川氏から聴いたストーリーを話した三松俊季の子供を訪ねた民俗学者へ、三松家祖廟の百済王神社由緒書きを木津の阿部氏に頼んだと神官は語ってるから https://t.co/IswDvttPj0 、中村直勝氏の記録が真だと思うけど #椿井文書 https://t.co/4e31co8zEC
椿井政隆云々と朱智神社中川氏から聴いて三宅源治郎氏へ話した三之宮神社神職三松俊季氏の息子さんが 百済王神社(三松家祖廟でもある)由緒書きを木津の阿部さんへ三十両で頼んだ云々というお話で登場する三松俊雄氏(「日本民俗学.隨筆篇」P.56,中山太郎) #椿井文書 https://t.co/IswDvttPj0
56頁,中山太郎,日本民俗學随筆編,大岡山書店,1931年 https://t.co/IswDvttPj0
でもそれを書いたのは木津の阿部さんとここ https://t.co/IswDvttPj0 に書いててるね「その事例は、大阪府枚方市の百百済王神社のほか……明朝体は、椿井政隆が中世の年号を用いた神社の縁起を記す際に、好んで用いたようである」P.44,馬部隆弘,椿井文書,中公新書 #椿井文書
椿井文書は椿井政隆一人作説の根拠は 1911年三宅源治郎が1888年頃 三松俊季から聴いた、椿井政隆遺族→木津の今井良久→朱智神社中川政勝という経路の伝聞で二次史料。 その三松俊季の息子・俊雄は百済王神社縁起を木津の阿部氏に作成してもらったと証言。笑 https://t.co/BavZIM2Yc1 みんなバカねぇ
その三松俊季氏の息子の三松俊雄氏は中山太郎氏へ近く受爵すると述べてた。百済王家末裔という系図を出されていたし。 でも百済王神社の縁起は木津の阿部さんに造ってもらったとあけすけに話していたりもする。 #椿井文書 https://t.co/IswDvttPj0
木津の阿部さんに作成してもらったとあけすけに話してるのに、信用していいのかなぁ https://t.co/IswDvttPj0 。 木津地域では中村直勝氏が記録した様に 明治政府が定義した社格が上昇する由緒書きを製造販売していたのでは? #椿井文書 https://t.co/4e31co8zEC
P.56,日本民俗学 隨筆篇,中山太郎, 大岡山書店,1931 https://t.co/IswDvttPj0 中村直勝氏は木津文書とも書いてた。 #椿井文書

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