9 1 0 0 OA 日本民俗学

著者
中山太郎 著
出版者
大岡山書店
巻号頁・発行日
vol.〔第1-4〕 隨筆篇, 1931

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西村天囚が王仁木像と掲載した物は実は王辰爾と他の学者が主張し絵葉書になる https://t.co/JKcbsBMFoi 1911年三宅氏は三ノ宮神社古文書を1895年購入した際の経緯を記載、三松氏を王仁末裔と書く。 椿井文書メモ
明朝体で書かれた縁起書といえば百済王神社のそれが新書椿井文書に掲載されてる。 当時の記録でも木津で作ってもらったとあけすけに話してるし、 2回の火薬庫大爆発事故があった地域なので作り直したのかも。 これと世継神社縁起之事とは書体は違う様に思う。 https://t.co/IswDvttPj0 https://t.co/nOrc2lQf8u
元々伝王仁墓と百済王氏墓がある『当郷旧跡名勝誌』の字御墓谷は、書いてある距離・方角の通り津田村の鬼門の土山神社(ちんじんさん)で、 百済王神社のちんじさん https://t.co/JKcbsBMFoi ではないかな。 椿井文書メモ https://t.co/5SanjCCj4K
400圓という大金を大方を富農の三宅氏に負担させる共通目的が、椿井文書作成者と中村直勝が言う今井家と思われる今井良政と、三松俊季にあったとしたら? 三松氏が王仁末裔と書かれているのはお読みになられたはず。 三松氏は華族参入の野心が有りました https://t.co/BavZIM2Yc1 https://t.co/O3DMppLflB
@pririn_ 三松氏は爵位を授かる予定だと民俗学者に述べているから https://t.co/BavZIM2Yc1 野心があった。 京都府の南山郷士もそうだけど、江戸~明治時代は家系の格を上げる系図の偽作は珍しくなかったようだから、 中村直勝が記録した椿井文書のように三松氏側が系図をオーダーした可能性があるわけね。
@TaniYoko 明治初年に菅原村の宝として購入した『王仁墳廟来朝紀』は少なくとも村人は目にしてるから、 その著者の名前は広まっていたかも。 中村直勝が記録した椿井文書みたいに 百済王神社縁起書は木津の系図屋さんの阿部さんに頼んだそうだけど、系図は割合偽作が多いんだろうな。 https://t.co/IswDvttPj0
1911年三宅『郷社三之宮神社古文書伝来之記』には、三之宮神社古文書類は 幕末に椿井権之丞が興福寺から持ち出したと書いてあり、 それを馬部さんは椿井政隆作椿井文書だとしたけど、 西村家系図他個々の家の系図の由来は書いてない。 木津の系図業者は当時から著名 https://t.co/IswDvttPj0 https://t.co/L1EhFRJX9P
桓武帝他の郊祀が記録に残っている物だけとも限らない。 百済王氏の末裔という家伝がある三松家はチンヂ様の木像を王仁として祀ってたそうだけど https://t.co/JKcbsBMFoi 、 津田村の土山神社はちんじん様。 明治始め神社整理された土山神社は堂山。王仁埋葬伝承は上ノ堂 https://t.co/rICmDjouq4 https://t.co/4vODOdkfcj
士族に編入され京都府議会議員達を輩出した南山郷士の流れという系図は名誉だものね。 でも南山郷士は明治時代にできたグループ。 椿井文書の椿井政隆(1770-1837)はそこまで計算づくだった? それとも木津の阿部さんみたいな系図業者が明治時代に作った? https://t.co/IswDvttPj0 https://t.co/Vkhdq3RhP4
でも『王仁墳廟来朝記』を椿井文書というには、 西村家系図が明治時代に木津の系図屋さんに作られたものではない https://t.co/IswDvttPj0 と立証しなくてはいけない。
西村家先祖が本当に書いたとか、 王仁末裔と『郷社三之宮神社古文書伝来之記』に書いてある 百済王家末裔の三松氏が 百済王神社縁起書と同じ様に 木津の系図作成業者の阿部さんに頼んで https://t.co/cm7GuuOrdp 今井家から卸してもらったとか 椿井文書とか? https://t.co/jUJoIflLqT
『郷社三之宮神社古文書伝来之記』に三松氏が王仁末裔と書かれ 三松氏達が三之宮神社古文書と同時に購入した西村系図に『王仁墳廟来朝記』著者名があり 三松氏宗廟の百済王神社縁起書は木津の系図書きの阿部氏に頼んだと記録されてるのに、 虚偽である可能性が低い?椿井文書 https://t.co/BavZIM2Yc1 https://t.co/GjpxMASAur
爵位が予定されていると話している 三松氏の宗廟・百済王神社の縁起は、木津の系図書きの阿部さんに頼んだものと https://t.co/BavZIM2Yc1 。 禁野は1909年・1939年火薬庫大爆発事故があったので焼失した可能性あり。 椿井政隆(~1837)より、中村直勝氏の明治の木津の業者達の可能性が高い https://t.co/sz62zqs5CZ
馬部さんが『椿井文書』p.44に掲載した百済王神社の由緒書きは、 上狛椿井の椿井政隆(1770-1837)ではなく、 そこから木津川を渡った木津の阿部さんに頼んだ物 https://t.co/IswDvttPj0 で馬部さんが云う椿井文書じゃないよ。 禁野火薬庫大爆発事故で吹き飛んだのかもね。
枚方市民の地域性のせいと馬部氏は彼等を侮辱したけど、 椿井文書に写真掲載された枚方市の百済王神社由緒書きは 上狛の椿井の椿井さんじゃなく、「木津」の阿部さんに頼んだもの https://t.co/IswDvttPj0 だし、 https://t.co/ToL2naNgMp
@pririn_ なるほど・・・。 https://t.co/woNnSvUsZi
新書『椿井文書』に写真掲載された百済王神社の縁起も、 百済王神社神職は【木津】の阿部さんに頼んだものと公言していて【上狛の椿井村】の椿井政隆は関係していない。 https://t.co/JKcbsBMFoi
新書『椿井文書』掲載の百済王神社の由緒書きも 神職の方があけすけに木津の阿部さんに頼んだと言ってるから、 当時は由緒書きや家系図を業者さんが綺麗に纏めるって普通だったんだと思う。 https://t.co/BavZIM2Yc1 https://t.co/uxsHiXcNKi
椿井文書で引用された『郷社三之宮神社古文書伝来之記』三宅氏,1911に三松氏は王仁末裔と。 1918年系図では百済王氏末裔と https://t.co/bvNFyFGNfn 。 王仁と百済王氏の墓は地元の尊光寺『当郷旧跡名勝誌』1682によれば御墓谷にあると。 王辰爾と王仁同一人物説 https://t.co/JKcbsBMFoi
西洋砲術家の三松家は1911年『郷社三之宮神社古文書伝来之記』では王仁の末裔、 1918年公表の家系図では百済王家末裔。 三松家の伝承では矛盾しない https://t.co/JKcbsBMFoi 。 椿井文書に写真が掲載された宗廟由緒書きは木津の阿部さんにたのんだもの https://t.co/IswDvttPj0 で椿井政隆ではない
西洋砲術家の三松家は1911年『郷社三之宮神社古文書伝来之記』では王仁の末裔、 1918年公表の家系図では百済王家末裔。 三松家の伝承では矛盾しない https://t.co/JKcbsBMFoi 。 椿井文書に写真が掲載された宗廟由緒書きは木津の阿部さんにたのんだもの https://t.co/IswDvttPj0 で椿井政隆ではない
大正時代百済王家末裔の系図を出した旧河内国茨田郡の枚方町町長を輩出した三松家の【伝承】は王辰爾王仁同一人物説 https://t.co/cm7GuuOrdp 。 新書・椿井文書に宗廟の由緒書きの写真があるけど その作者は上狛の椿井政隆ではなく木津の阿部氏。 禁野火薬庫大爆発で吹き飛んだので新調したのかも。
西洋砲術家の三松氏は 1911年『郷社三之宮神社古文書傳来之記』では 王仁末裔と書かれ 1918年百済王氏末裔の系図を配布し https://t.co/tXaeeRi9UO 三松氏宗廟の神職はその縁起は木津の阿部さんにたのんだと話している https://t.co/BavZIM2Yc1 王辰爾と王仁は同一人物説か? #椿井文書
1931年三松氏宗廟の縁起-椿井文書に写真掲載-は木津の阿部さんのと「縁起……先代の神官が、木津の阿部さん(此の地方で有名な系圖書きで、大和・河内の神社佛閣には、この者の手になる偽縁起が頗る多い)に頼んで、三十両といふ金を出したものだそう……」日本民俗学隨筆篇 https://t.co/BavZIM2Yc1
三松氏宗廟の百済王神社由緒は、木津の阿部さんに頼んだ物(1909年禁野火薬庫大爆発事故があったので、無から創作したとは限らない) https://t.co/IswDvttPj0 。 では『王仁墳廟来朝記』の著者は誰だろう? 1616年道俊? 椿井政隆か息子の萬次郎? 木津の系図作成業者の阿部さん? それとも他? #椿井文書
「椿井政隆(1770-1837)は伝説織り交ぜた由緒書きを作成した」 から 「伝説織り交ぜた由緒書きは椿井政隆作である」 へと、単純化されてないかな? 馬部隆弘氏『椿井文書』2020に百済王神社の縁起が写真掲載されてるけれど、政隆氏と川向いの木津の系図書き阿部さんの作https://t.co/IswDvttPj0 。
彼等の庫内に「たまたま」あった 君が探していた物とたまたまドンピシャで一致する物 なる物を買ったら、それは偽造された物であるという本当の事を知られているから、支配される。 本当の事は誰にも言えない。 サラリと云えば https://t.co/BavZIM2Yc1 支配されない。 毒饅頭でもある。 #椿井文書 https://t.co/El2GR7PxQI
@tonchi_jin 百済王神社の縁起は新書『椿井文書』にも写真が掲載されていますが、そのすぐ北の禁野火薬庫が 1909年大規模爆発を起こし約1495戸全半壊。 無から有ではなく、焼失した物を木津の職人さんに再現してもらったのかもしれません https://t.co/IswDvttPj0 。
@tonchi_jin 椿井文書は職人が造ったもんやのうて、江戸時代の椿井政隆はんが作りなさったもんを庫内から探してきてたまたまあったもんやでという方便は、 ぶぶ漬けほんまに喰っちゃるとする大阪人に通じない https://t.co/XB9VV783z5 。 全部面白がってばらしてしまいます https://t.co/IswDvttPj0 。
@tonchi_jin 戦前戦後の研究者は椿井文書を木津文書とも呼びますが、 滋賀県奈良県京都府に特に多いそうです。 大阪の河内の人はあけすけで豪快なので、全部簡単にバラしちゃいますね。笑 https://t.co/IswDvttPj0 だからこそ椿井政隆遺物を庫内から探してきたという方便は秘匿の為に大事だったんだろうけれど
@tonchi_jin 馬部氏の椿井文書学説の根拠である 『郷社三之宮神社古文書傳来之記』 著者三宅氏へ伝聞を伝えた 三松氏の宗廟である百済王神社の由緒は、 神官は木津の阿部氏に頼んだとあっけらからんと話してます。 当時は普通だったのでは? https://t.co/IswDvttPj0
(゜-゜)では『王仁墳廟来朝記』は椿井文書でなく本物かといえば、原本が無いし、 1907年吉田東伍教授の大日本地名辞書第二版へ伝王仁墓は実はアテルイの墓だと書かれたのに反発し 王仁末裔と書かれた三松氏か誰かが木津の阿部さん https://t.co/IswDvttPj0 とかに頼んだものじゃないかな? https://t.co/8YZwzkwDQV
。そして西村家系図が椿井政隆作でないなら『王仁墳廟来朝記』は椿井政隆作と云えない。 もし偽書であったとしても、三松家宗廟の百済王神社が由緒を木津の阿部氏という系図作成業者に頼んだように https://t.co/ImAu8igxAF 作ったものかもしれない。 三松氏が三宅氏へ話した内容を馬部氏 #椿井文書
三松氏の宗廟・百済王神社はあっけらかーんと由緒書きは木津の阿部さんに頼んだと話してる https://t.co/IswDvttPj0 ので、 特に隠す必要性は無いわけで。 中村直勝氏が記録したように当時の神社ではごく普通。 馬部隆弘氏の #椿井文書 説だと、中村氏が記録した木津の業者さんは消えてしまうけど。 https://t.co/9dy0yaoWms
三松家宗廟の百済王神社にある王仁木像は王辰爾だという学者がいたそうな https://t.co/JKcbsBMFoi 。 百済王神社由緒は禁野火薬庫爆発で焼失したのか、木津の阿部氏へ頼んだものだという。 https://t.co/IswDvttPj0 #椿井文書
三松家宗廟の百済王神社にある王仁木像は王辰爾だという学者がいたそうな https://t.co/JKcbsBMFoi 。 百済王神社由緒は禁野火薬庫爆発で焼失したのか、木津の阿部氏へ頼んだものだという。 https://t.co/IswDvttPj0 #椿井文書
三松氏の宗廟・百済王神社の由緒は木津の阿部さんに頼んだそうだけど、新書『椿井文書』掲載の『百済王霊祠廟由緒』かも https://t.co/IswDvttPj0 。 元々の神社はこの古墳みたいな丘の上にあった #椿井文書 https://t.co/6CyqhkW2qJ
三松家の宗廟・百済王神社はあけすけに木津の阿部さんという系図作成業者に由緒書き作成を頼んだと言ってる https://t.co/IswDvttPj0 。 禁野火薬庫大爆発事故で焼失したのかも。 その三松氏は三之宮神社神主もしていて、 馬部隆弘氏が引用した文献に王仁博士末裔でもあると書かれている #椿井文書
中山太郎『日本民俗学隨筆篇』によると、その三松氏の息子の代、三松家の宗廟の神社の縁起書は木津の系図書きの阿部さんに頼んだ物と聴いたと書いてある。 馬部氏が『 #椿井文書 』へ掲載した『百済王霊祠廟由緒』では? 中村直勝氏が記録した木津の製造販売業者と合致する。 https://t.co/IswDvttPj0
『椿井文書』掲載の『百済王霊祠廟由緒』は木津の系図業者・阿部さんに頼んだものみたい https://t.co/IswDvttPj0 。 たぶん『王仁墳廟来朝記』も、吉田東伍が大日本地名辞書で伝王仁墓は本当は #アテルイ だと書いたから、 今更それはヤダと慌てて誰かが造らせたのかも??? #椿井文書 https://t.co/WbWL3O0om3
新書『椿井文書』へ掲載された枚方市百済王神社『百済王霊祠廟由緒』はこの 中山太郎著日本民俗学隨筆篇56頁の「縁起」と思われるけど、 https://t.co/cm7GuuOrdp 木津の系図書きの阿部さんに頼んだものと書いてあって 椿井政隆説と矛盾してるけど、本当に #椿井文書 なのでしょうか? https://t.co/v6yYGg5JUZ
でも1911年三宅氏著の三松氏から聴いた話は実証されてない。 馬部氏が椿井文書へ掲載した『百済王霊祠廟由緒』と思われる縁起書は三宅氏へ1888年話した三松氏の息子の代、木津の系図作成業者阿部さんへ頼んだ物という証言がある https://t.co/IswDvttPj0 。 百済王神社は三松家宗廟。 #椿井文書
明治時代に木津の業者さん-この本 https://t.co/IswDvttPj0 の阿部さんとか-達が作ったそれと、 江戸時代の郷土史家・椿井政隆作の物を混ぜて #椿井文書 としてしまっていいのだろうか?
だいぶ昔枚方市で閲覧した三宅源治郎1911年(明治44年)文書のコピーに、 三松家は王仁博士の子孫と書いてあった。 大正時代三松家は百済王家の子孫の家系図を発表するけど、矛盾を埋めるのがここに出てくる王仁=王辰爾説。本当にそう信じられていたのかも。 #椿井文書 https://t.co/cm7GuuOrdp https://t.co/xdVkhtNXQp
馬部隆弘氏は百済王神社由緒書きを「椿井文書」で掲載していたけれど、 馬部さんが言うように 椿井政隆が作ったのか、 この記録のように木津の阿部さんへ神社が頼んだのか、 歴史学的にはどちらが確実な史実なんでしょう? #椿井文書 https://t.co/cm7GuuOrdp https://t.co/dtsNJlG4D0
馬部隆弘氏が #椿井文書 とした「百済王霊祠廟由緒」はP.56,『日本民俗学隨筆篇』中山太郎,大岡山書店,1931年 https://t.co/BavZIM2Yc1 の系図書きで偽縁起作成者木津の阿部氏へ頼んで作成した物と思われるけど(無から有を産んだとは限らない)、 椿井政隆作説とどう整合性をとるのだろう? https://t.co/X7sDgra5Mi
三松俊季氏の息子を訪問した民俗学者が三松家祖廟の由緒書き(おそらく「椿井文書」,P.44,中公新書の写真の物)を木津の阿部さんに頼んだと記録してるということは、 三松俊季から聴いて1911年三宅氏が記録したお話しも、木津の業者さんへ #椿井文書 を頼んだというお話しでは? https://t.co/IswDvttPj0 https://t.co/a5f0liGQMg
。三宅源治郎へ朱智神社中川氏から聴いたストーリーを話した三松俊季の子供を訪ねた民俗学者へ、三松家祖廟の百済王神社由緒書きを木津の阿部氏に頼んだと神官は語ってるから https://t.co/IswDvttPj0 、中村直勝氏の記録が真だと思うけど #椿井文書 https://t.co/4e31co8zEC
椿井政隆云々と朱智神社中川氏から聴いて三宅源治郎氏へ話した三之宮神社神職三松俊季氏の息子さんが 百済王神社(三松家祖廟でもある)由緒書きを木津の阿部さんへ三十両で頼んだ云々というお話で登場する三松俊雄氏(「日本民俗学.隨筆篇」P.56,中山太郎) #椿井文書 https://t.co/IswDvttPj0
56頁,中山太郎,日本民俗學随筆編,大岡山書店,1931年 https://t.co/IswDvttPj0
でもそれを書いたのは木津の阿部さんとここ https://t.co/IswDvttPj0 に書いててるね「その事例は、大阪府枚方市の百百済王神社のほか……明朝体は、椿井政隆が中世の年号を用いた神社の縁起を記す際に、好んで用いたようである」P.44,馬部隆弘,椿井文書,中公新書 #椿井文書
椿井文書は椿井政隆一人作説の根拠は 1911年三宅源治郎が1888年頃 三松俊季から聴いた、椿井政隆遺族→木津の今井良久→朱智神社中川政勝という経路の伝聞で二次史料。 その三松俊季の息子・俊雄は百済王神社縁起を木津の阿部氏に作成してもらったと証言。笑 https://t.co/BavZIM2Yc1 みんなバカねぇ
その三松俊季氏の息子の三松俊雄氏は中山太郎氏へ近く受爵すると述べてた。百済王家末裔という系図を出されていたし。 でも百済王神社の縁起は木津の阿部さんに造ってもらったとあけすけに話していたりもする。 #椿井文書 https://t.co/IswDvttPj0
木津の阿部さんに作成してもらったとあけすけに話してるのに、信用していいのかなぁ https://t.co/IswDvttPj0 。 木津地域では中村直勝氏が記録した様に 明治政府が定義した社格が上昇する由緒書きを製造販売していたのでは? #椿井文書 https://t.co/4e31co8zEC
P.56,日本民俗学 隨筆篇,中山太郎, 大岡山書店,1931 https://t.co/IswDvttPj0 中村直勝氏は木津文書とも書いてた。 #椿井文書

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