言及状況

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和名類聚抄巻6・国郡部第12・駿河国第79・益頭郡の項に、 物部[毛乃々倍]という郷名があります。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544218?tocOpened コマ番号48 一方、巻7・国郡部第12・近江国第88・栗本郡の項にある 物部 は、 [毛乃倍]となっているので、「ものべ」のようです。 https://dl.ndl.go.jp ...
色々調べてみましたが、どうも当時は郡境が現在と異なっており、「吾勝郷」は磐井郡内になかったようです。 それを示す資料としては『封内風土記巻之十八下』です。 ページ内に 「有賀邑、戸口凡百二十六、伝云、此邑、往古本郡吾勝郷福岡邑内也」 「吾勝郷沼倉郷沼倉邑、戸口凡百七十二、有號水洞・玉山地、奥・羽之域、在駒形山大日嶽神社」 「吾勝郷松倉邑、戸口凡百三十五」 と吾勝郷内の村についての記載がありますが ...

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回答番号1,2のplapotiです。 きちんと調べたわけではないのですが、京都説の根拠のひとつは、『和名類従抄』なのだと思ひます。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544218?tocOp … 上記サイトの「コマ番号31」愛宕郡(おたぎぐん)のなかに「小野」の地名が記載されてゐます。 http://dl.ndl.go.jp ...

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『和名類聚抄』第九十四「陸奥國」中の「色麻(しかま)郡」には伊達氏関連の式内・伊達(いだて)神社が存在するが、この「しかま」の「いだて」は播磨國(兵庫)の「飾磨(しかま)郡」は射楯(いだて)兵主神社に由来。これは渡来系の出雲國・韓国伊太氐(いたて)神社をルーツとする。 https://t.co/I1rFqd9sqR
東北(陸奥)は 戊申の役の頃、長州藩士を中心とする西軍の連中が当地を蔑んで「白河以北一山三文」(白河関より北は、ひとつの山が三文の価値しかない)など抜かしていたが、陸奥の古代地名の多くが現在にも伝わっていることがよくわかる。  https://t.co/I1rFqd9sqR

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