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投稿一覧(最新100件)

「乱」と「変」については学会では学習院大学の安田元久氏による分類が有力とされています。これによると 「乱」 1.政治権力に対する武力による反抗、すなわち反逆事件 2.政治権力の収奪による内乱状態 「変」 3.政治権力者たる天皇・皇族、あるいは将軍などが獄逆・配流などに遭い、(1つの立場から見て)不当な立場に置かれた事件 4.政治上の対立による陰謀事件 と分類されています。 ...

115 0 0 0 OA 徳川慶喜公伝

渋沢栄一の著した『徳川慶喜公伝』に 「天下を取る程気骨の折るゝ事はなく。骨折るゝ故にいやと申すには候はねども、天下を取りて仕損ぜんよりは、天下を取らざる方大に勝るべし。父君御登營の節、若し聞き及ばるゝ度あれば、必ず制止し給はるべし。」 と実父の徳川斉昭に向けて自身は将軍になりたくないので諮問があれば推薦しないでくれるよう頼んだ手紙を書いた旨が記されています。 また、一橋家中でも 「吾が器量には過ぎ ...
足利義昭の直系については一色義喬や足利義在(永山休兵衛)、矢島秀行など複数の嘉明の実子とされている人物が存在し、さらに尾池義辰のように義輝・義昭の弟とされている人物もいます。これらの人物を祖とする家系は現代まで血を残しているようなので、上記の人物が足利将軍家に連なることが確認されれば将軍家の血統が現在も続いていることとなりますが、まだ確定に至るまでの証拠は出ていないようです。 江戸時代を通じて足 ...
この手の内容は木下聡氏が詳しく、その著書の『中世武家官位の研究』に詳しく掲載されているようです。しかしこの本は既に絶版となっていて古本市場ですら手に入らず、図書館も概ね大学図書館にしか置いておらず閲覧のハードルが大分高いです。今回はこの本を底本として左馬頭を解説していたYoutube動画がありましたので、これに沿って説明します。 (参考動画:https://www.youtube.com/watc ...
鳥羽法皇ではないですね。 もちろん皇位継承争いも保元の乱の1つの原因ではありますが、最大の原因は院政の成立に伴い摂関家が凋落したことと、これに対して台頭してきた院近臣層との間に発生した対立です(参考文献148ページ) 何故単純な「皇位継承争い」と断じることが出来ないかと言うと、保元の乱で崇徳上皇方についた摂関家の藤原忠実・頼長父子と崇徳天皇との結びつきが強くないからです。忠実は白河法皇からの信任 ...
色々調べてみましたが、どうも当時は郡境が現在と異なっており、「吾勝郷」は磐井郡内になかったようです。 それを示す資料としては『封内風土記巻之十八下』です。 ページ内に 「有賀邑、戸口凡百二十六、伝云、此邑、往古本郡吾勝郷福岡邑内也」 「吾勝郷沼倉郷沼倉邑、戸口凡百七十二、有號水洞・玉山地、奥・羽之域、在駒形山大日嶽神社」 「吾勝郷松倉邑、戸口凡百三十五」 と吾勝郷内の村についての記載がありますが ...
実際のところはそういったところではないかと考えられています。 『隋書』倭国伝には隋の担当官の質問に倭国の使者が答え、これにより未開性や文化の遅れを露呈し、それを文帝に諭されています。ただ、ここの問答もなかなかちぐはぐで、「倭王姓阿毎、字多利思比孤」というあたりなど隋の担当官の質問を正確に理解していたのかすら危ぶまれるレベルです。その後の回答も同様である可能性すら考えられます。 まあ、文化の遅れをコ ...
基本的には質問者様のイメージ通り鉛白由来の白粉や、軽粉と呼ばれる水銀由来の白粉がそのほとんどを占めていたとされています。胡粉の使用については下記資料でもほとんど触れられていません。 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/1.html https://www.jstage.jst.go.jp/article/shikizai1937/56/11/56_722/ ...

4 0 0 0 OA 物類品隲 6巻

基本的には質問者様のイメージ通り鉛白由来の白粉や、軽粉と呼ばれる水銀由来の白粉がそのほとんどを占めていたとされています。胡粉の使用については下記資料でもほとんど触れられていません。 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/1.html https://www.jstage.jst.go.jp/article/shikizai1937/56/11/56_722/ ...

9 0 0 0 OA 藩制一覧

例えば『藩制一覧』には各藩が明治3年に上申した実高が記載しており、これによると名古屋藩の実高は85万3215石となっています。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444759/159(156コマ目に記載あり) ただし、これには名古屋藩附家老である成瀬家(犬山藩でカウント)・竹腰家(今尾藩でカウント)の知行が含まれていませんので、これらの実高がそれぞれ4万2 ...
逆です。専門家の間では、「黄帝」伝説の原型はは『書経』呂刑篇に出て来る蚩尤を退治する「皇帝」であるとされており、これが五行説の流布に伴い同音である「黄帝」に変化したものと考えられています。 https://aichiu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_do ...
平知康は父の知親と共に北面の武士を勤めた院の近臣です。 その系譜は専門家の間でも不明となっており判然としません。知康・知親の直系先祖も知親の父である知通に遡れるに留まっています。 ある程度の状況証拠となるのは ○平知通(知康の祖父)が天治年間(1124-1126)に蔵人所衆を勤めている 『法性寺殿御記』という藤原忠通の日記に平知通の申文が付属しています この中に「正六位上蔵人所衆平知通」との記述 ...
鎌倉時代の平均身長については、関東地方から出土した大腿骨の最大長から身長を推定した論文が確認されています↓ https://www.jstage.jst.go.jp/article/ase1911/80/3/80_3_221/_pdf 4ページ目のtable2に記載がありますが、男性の平均身長は古墳時代をMaxとしてその後近代まで概ね低下傾向にあるようです。時代区分だけで見ると鎌倉時代は縄文時代 ...
「乱」と「変」については学会では学習院大学の安田元久氏による分類が有力とされています。これによると 「乱」 1.政治権力に対する武力による反抗、すなわち反逆事件 2.政治権力の収奪による内乱状態 「変」 3.政治権力者たる天皇・皇族、あるいは将軍などが獄逆・配流などに遭い、(1つの立場から見て)不当な立場に置かれた事件 4.政治上の対立による陰謀事件 と分類されています。 2は明らかとして1 ...