11 0 0 0 OA 国史叢書

著者
国史研究会 編
出版者
国史研究会
巻号頁・発行日
vol.西國太平記 毛利秀元記, 1915

言及状況

外部データベース (DOI)

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山裾の突端にかかって敵の備えが見えないので、見たがる甲州 甲州「あの山の鼻迄参り、唐人の様体見申したし」 隆景「偖々甲州、年若き故、宣ふぞや。親の如水などは、左様の事は申さるまじきぞ。見て能き事ならば、我等今迄見せずしてあらんや」 https://t.co/OxYHHS7lqz
https://t.co/SATmDujAIH そいや秀元とngmsにもエピソードあったんだった。501p後半~。戦後ngmsに会い、手を取って締め付け数日痺れさせるという怪力&スキンシップ過多なやつ(?)。あと官兵衛さんも、秀元手紙の一つも寄越さないって愚痴ってたり笑。こういうのグループ間の相性見える感じして面白い
@choelara 畑先生のブログ、落穂ひろいの明石源三郎の解説を読むとなるほどなーと納得してしまいますね。https://t.co/szLeXcCqTw
@choelara 西国太平記を読むと明石源三郎なる人物は明石掃部の父、明石行雄のことを指しているようにも思えるのですが、文禄の頃まで生きているはずの行雄を天正6年に討死としてますよね(笑) https://t.co/5SDvC7fOi7

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