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続> 石田三成らが小早川秀秋攻撃のために関ヶ原に移動したという説の根拠は『慶長年中卜斎記』、笹尾山でなく自害峰に三成が本陣を置いたという説の根拠は『戸田左門覚書』との事 ◆『慶長年中卜斎記』20コマ https://t.co/lWaegIywhi ◆『戸田左門覚書』18,19コマ https://t.co/EGxbI8s0ZJ
https://t.co/5jBUzvcXHx https://t.co/BDDxbR81JC 馬と江雪と言えば「慶長年中卜斎記」の、江戸から岩付へ行った家康陣に道阿弥と江雪がいて馬に乗ってる場面想像したらかっちょよくて萌えた。岩付は江雪が城代やってた城だけに色々思うけども…
慶長年中卜斎記 https://t.co/pgfOHT61TF 小山発~小田原着~
「慶長年中卜斎記」これにも江雪出てくるんだけど、なんか面白いw https://t.co/5jBUzvcXHx
@mitsuhoshi_myn 大谷陣で一泊した、の一番早い出展は慶長年中卜斎記です こちらの右側ページの真ん中より少し後くらいですねhttps://t.co/7ZLaBikvNE 板坂卜斎は関ヶ原では家康の横でずっといたので、宿所に関しては信用していいと思います~
「慶長年中卜斎記」、本としては現在出ていないのでしょうかね。ネットではこんなものしか見つかりませんでした。近代デジタルライブラリーhttp://t.co/w4Y2DYBj

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