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@tonchi_jin 江戸時代の観音信仰と交野ケ原は何かあるみたいです。 摂津国紫雲山中山寺(江戸時代は仲山寺) の星下りの最初は卜部左近 https://t.co/jJiA09hOup ですが、その日の日没は何かを意味してます https://t.co/cGm5cjKUGq
河内・摂津陰陽寮土御門家配下・歴代組は交野郡にも点在 https://t.co/hlrd7l1dt4 。 牛石(牽牛石神)から中山寺を卜部左近星下りの日 https://t.co/jJiA09hOup に見たら牽牛星(彦星・天稚彦)が中山寺・売市神社(下照姫神)の上へ沈むは、彼らか密教の祭祀かも #椿井文書 #七夕 https://t.co/59Hgi1OylK
地方の古文書に史実がママで記されてると思うものなのかな? お寺や神社の由緒書きって、おとぎ話に近い性質のものでは? その中に史実が織り交ぜられているから参考資料になるけれど #東日流外三郡誌 https://t.co/WfIc9FrEPi https://t.co/m0SE5fPaqz
牛石から丑の刻、卜部左近の中山星下りの旧暦七月九日 https://t.co/jJiA09hOup に中山寺を見れば、牽牛星が売布神社(下照姫。配神は天稚彦)を過ぎて中山寺へ沈む。 年に一度は牽牛星は売布神社の下照姫に沈んでいるのにゃ。 https://t.co/arFLJafoXq
中山寺の由緒書き https://t.co/jJiA09hOup に記された音楽と共に天から降る不思議は、 物語世界の天稚御子のそれで 日本神話の天稚彦や御伽草子の日本型 #七夕 の天稚彦草子 https://t.co/zgsGqfxqra の流れで研究されている https://t.co/EFqDHUK89R 。 多分、枚方市はこれらと縁がある。 #椿井文書
卜部左近の中山寺星下りの日の午前3時頃 https://t.co/jJiA09hOup 、 隣村の旧茄子作村・中山観音寺址牛石(牽牛石神)から見て牽牛星=彦星が、売布神社-中山寺へ沈むので牽牛石神と呼ぶ村または宗派があったのを知っていたのかもね #椿井文書 https://t.co/Da0n77sdUb
ステラナビゲーターとカシミール3Dの操作&計算を間違っていなければ 中山寺星下り元和二年七月九日(1616/8/22) https://t.co/jJiA09hOup に枚方市内の牽牛石神(牛石)から見て中山寺・売布神社(祭神:天稚彦)方向へ牽牛星(彦星)が沈む空。 天稚彦草子は彦星=海龍王と天探る女の話 #七夕 #椿井文書 https://t.co/arFLJafoXq
天稚彦がなぜ御伽草子等物語文化の中で大きく姿を変えていったのか。 紫雲山中山寺の星下りの説話も、音楽と共にあらわれる不可思議は物語世界の天稚彦そのもので。 中山寺の隣は売布神社(下照姫・天稚彦) https://t.co/jJiA09hOup
日秀上人の悲惨な最期と https://t.co/z9s1DVnhU8 、 中山寺星下りの縁起 https://t.co/jJiA09hOup の卜部左近の最後は似てる。 #七夕 https://t.co/gae8itvTWE
天野川の七夕伝承は地域活性化の為のでっちあげと馬部隆弘氏は云う。 牛石は牽牛石神として崇拝されていたと記録した片山長三をでっちあげ者のように批判するけど、 片山長三が中山寺縁起の日時と時刻の星空を操作することは不可能 #椿井文書 https://t.co/uF2FbfULw9 https://t.co/gMNv6QPusr
中山寺由来記 https://t.co/jJiA09hOup に書かれた日時時刻の天体現象まで、茄子作村の農民や、星田村出身の片山長三が捏造して七夕伝承を作ることはできないよ #椿井文書 https://t.co/xLYNKRJFOx
紫雲山中山(仲山)寺の隣の売布神社ご祭神は天稚彦。中山観音寺跡から見て牽牛星が沈むから牛石=牽牛石神なのは、天稚彦草子の彦星=牽牛星だから。中山寺由来記の音楽なる中の星下り https://t.co/jJiA09hOup は中世物語類の天稚彦の描写と同じ #椿井文書 https://t.co/OtEuZlH6R6
@QmHSxpgqThzrxfk 中山寺縁起1616年8月22日午前3時44分、初の中山寺星下りの時刻 https://t.co/uF2FbfULw9 、中山観音寺跡牽牛石から見た牽牛星は紫雲山中山寺大師堂上空、織女星は能勢の妙見山上空(カシミール3Dで312.4°、ステラナビゲーターで132.4°) 。 https://t.co/gMNv6QPusr
弁財天は聞得大君の信仰対象でもある「永延貳戊子年七月十日(*988年8月24日)初めて之を修行せり、時に辨光光明を現はし虛空に音樂あり諸佛來迎し……七日を經て蘇生す時に手に一の蓮華を持せり……空より下り靈香梵音妙なるを見聞するものあり」 https://t.co/UInJTAh8bJ
金武観音寺の日秀上人と中山寺九日會の卜部左近の最期は似ている。 元和二年七月十日(1616年8月22日)AM3時中山寺星下りの卜部左近も草庵で観音真言、 元和五年七月十日1619年8月19日妻子も奇瑞を見た後浄土往生の為に籠もり 寛永十一年七月十五日(1634年8月8日)誦念の後入寂 https://t.co/uF2FbfULw9
中山寺由来記,紫雲山中山寺1912年 https://t.co/uF2FbfULw9 では1616年8月22日午前3時頃星下りは起きたと書いてある。 ステラナビゲーターで牽牛石(片山長三のいう牽牛石神)から中山寺と売布神社(天稚彦)を見ると牽牛星が上空に輝くけど偶然にしてはあってるかも。 https://t.co/vnAN7Royfb
観音菩薩の九日會(星下り)も、七日続くから「七夕」。ななゆう、ななせき、じゃないのが不思議。 https://t.co/uF2FbfULw9
1616年8月22日午前3時44分、初の中山寺星下りの時刻 https://t.co/uF2FbfULw9 、中山観音寺跡牽牛石から見た牽牛星は紫雲山中山寺大師堂上空、織女星は能勢の妙見山上空(カシミール3Dで312.4°、ステラナビゲーターで132.4°) 。 妙見は北極星で、織女星は過去と未来の北極星。 https://t.co/gMNv6QPusr
中山王尚久、息子尚豊王帰国祈願「萬歴四十四年(1616年)丁巳之春……新講観音大士堂(琉球国由来記)」 中山寺由来記・元和二年七月九日初の星下り(1616/8/22AM3時頃) https://t.co/uF2FbfULw9 を中山観音寺跡牽牛石からステラナビゲーターで。 3:35頃天稚彦の売布神社、44分中山寺大師堂上空に牽牛星 https://t.co/gMNv6QPusr
卜部左近の元和2年7月9日(1616年8月21日)から始まる観音菩薩の九日会式最終日の日の入りは、摂津国「中山」へ沈む。その中山から見た夏至の日の出はジャストで比叡山と、大内裏から昇る。 https://t.co/uF2FbgcmUJ
でも中山寺の卜部左近の墓では(1596-1623)となっていて、中山寺の縁起 https://t.co/uF2FbfULw9 と違う https://t.co/QRISyI07ka
寛永十一年七月十五日1634年8月8日卜部左近永眠 https://t.co/uF2FbfULw9 。播磨国三木の人で元々儒教で観音菩薩に帰依。「金剛寺の僧・澄伝(ちょうでん)について観音の教えをならいました」 https://t.co/RNlCvDMpQI
紫雲山中山寺星下り縁起では1616年卜部左近が遭遇した奇瑞の3年後1619年、家族と共に遭うと https://t.co/uF2FbfULw9 。「(*万暦47年1619年相国中城王子(尚豊王))天叟禅師に寄附して廟寺とした(『琉球国由来記』巻10、諸寺旧記、霊芝山建善寺、霊芝山建善禅寺記)」 https://t.co/NWddbkDNXs
摂津 #中山寺 (昔は仲山寺)の、西国三十三カ所が始まったと伝承されているのは花山法王からで、永延二年七月九日~十五日(988年8月23~29日)の九日後夜(十日午前三時頃)奇瑞あったがはじめ https://t.co/uF2FbfULw9
1616年佐敷王子朝昌、薩摩に十年国質 尚久王帰国念じ万歳嶺慈眼院(首里観音堂)発願 8月21-27日卜部左近の中山寺九日會式 https://t.co/uF2FbfULw9 ◇ https://t.co/0zARcDDzJJ 冬、摂政を命じられ帰国 1617年慈眼院創建 1619年袋中上人法林寺を團王さんへ譲る
@TaniYoko @QmHSxpgqThzrxfk 横から失礼しますが、馬部隆弘氏は茄子作村住人が宝塚市の中山寺と関係づける為に牛石と星石と村史に記したと書いてるけど、中山星下り伝承始めの1616年8月27日枚方市中山観音寺跡の日の入りは、中山に沈むし #中山星下り https://t.co/uF2FbfULw9 https://t.co/bXu4LaEl14
中山寺星下りの始まりの、元和二年七月十日(1616年8月21日)午前三時、枚方市中山観音寺跡牛石(牽牛石)から見た西の星空で、牽牛星が中山寺の方へ沈む(ペルセウス座流星群とはくちょう座k流星群が見える方向)。馬部氏はでっちあげと云うけどあるんでね? #七夕 #アテルイ https://t.co/uF2FbfULw9 https://t.co/3qGywLPjtW
戦前の鉄道省の清水星下りは花山法皇永延二年7月十日奇瑞とあうけど、六斎の17日は? 中山寺九日會式(星下り)旧暦七月九~十五日 花山法皇永延二年(988年8月23日癸巳8月24日甲午~29日己亥) 卜部左近元和二年(1616年8月21日戊寅22日己卯~27日甲申) 中山寺由来記(1912/7) https://t.co/uF2FbgcmUJ https://t.co/ONkaT6IuPk
引用「九日會式(※中山星下り)、古来は七月九日より十五日まで」中山寺由来記,明治45年7月 https://t.co/3mfBwsROxJ #椿井文書
星の飛び来るが如くに拝せらるゝを以て中山星下りの異名を以てするなりと」中山寺由来記,明治45年7月 https://t.co/uF2FbfULw9 #椿井文書 元和二年中山寺九日會式(星下り)最終日七月十五日は1616年8月27日。8月27日の中山観音寺跡牛石(牽牛石)の夕日は中山に沈む https://t.co/VwMttQuPB4
紫雲山中山寺が書いた縁起では観音様が星に乗って来るのではなく、凡人には中山寺へ来られる観音様が星に見えると書いてある https://t.co/3mfBwsROxJ から星が降ってくるわけではないし、隣の星田村・星田妙見宮社伝に弘法大師の降星伝承があるし、 #椿井文書
「又此九日會式を「星下り」と名くるは三十三個所の観音此夜中山に影嚮せらるゝや、諸人にして其姿を見る能はざるものも恰も星の飛び来るが如くに拝せらるゝを以て中山星下りの異名を以てするなりと」中山寺由来記,明治45年7月 https://t.co/3mfBwsROxJ
中山寺8月9日星下り(九日會式)の由来は永延二年(988)七月九日後夜(十日午前三時)花山法皇修法奇瑞、元和二年七月九日夜半三十三個所観音出現か https://t.co/3mfBwsROxJ https://t.co/bCxwawIlh3

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