- 著者
-
林 衛
- 巻号頁・発行日
- pp.1-29,
1.科学の文化とは日本サイエンスコミュニケーション協会設立直前の議論を思い返してほしい。日本にはまだない科学の文化をつくろう,科学を文化にしようという意見に対し,私はつぎのような反論をした。「文化」とは,縄文文化や室町文化,若者文化の用例にみられるとおり,その時代や集団にみられる特性のことであり,いまの日本にも科学の文化は存在している。その文化は,水俣病の解決を遅らせたり,世界でいちばん進んでいる活断層研究の成果が中学校理科の日本でいちばん採択率の高い教科書にでていても地震の備えをしなくてよいことにしてしまい阪神・淡路大震災をもたらしたり,原発震災を防げないでいる文化なのだから,その文化を改めるためのはたらきが科学コミュニケーションに求められているのではないか,と。それから10年余りが経過したいま,科学の文化の現状を府敵する作業が改めて求められている。2.大川小被災と検証失敗の原因 下のハザードマップから,なにを読み取るだろうか。3.5kmもの津波遡上が予測されるそのおよそ500m先に大川小学校が位置する。沖積平野で標高は1から1.5m,すなわち満潮時の海水面よりも低い位置に立地している。計算の前提であったM8でも大川小は誤差の範囲で浸水域になりうるし,M8以上ならば浸水の危険性はさらに高まる。あの日震度5程度の激しい地震動が2分半も続いたので,児童や教員たちの何人もが,裏山避難を提案できた。ところが,意見は聞くが判断するのは管理職だという近年のトップダウン教育行政に押しつぶされるかたちで,教員たちは管理職の決断を待ちながら,各自の持ち場で校舎2階に避難場所を探したり,寒がる児童のためにとたき火の用意を始めたりしていたのだ。決断に迷った管理職を説得するのではなく。大川小事故検証委員会は,文科省・宮城県教委の指導・監視のもと,昭和三陸大津波の浸水図の誤読を読者にうながしてまで,津波予見可能性をあいまいにし続けるという防災研究者としてあるまじき非違行為に走った。3.有権者のための科学コミュニケーション 市民とは市民社会の主権者,有権者のことであり,主権者は全体の奉仕者である公務員や政治のまちがいを正す政治的責任から逃れられない。この原則の再確認から考察を進めたい。