- 著者
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安野 眞幸
- 出版者
- 弘前大学教育学部
- 雑誌
- 弘前大学教育学部紀要 (ISSN:04391713)
- 巻号頁・発行日
- no.93, pp.7-23, 2005-03-30
本稿は天正五年六月に織田信長が安土山下町に宛てて出した定書十三ヵ条に付いての考察である。安土を理解するには、「景清道」と八風街道から延びた「浄厳院道」と、両者の交点にある港町の「常楽寺」の三者を知る必要がある。常楽寺は「沙沙貴神社」の門前町ならぬ(門裏町)だった。この定書の実質的な受取手で、自治都市安土山下町の自治の担い手は「沙沙貴神社」の神官で、この神社の長い伝統を背負って立つ木村次郎左衛門尉だった。この法令中には「兵工未分離」な木村氏の「奉公人」「給人」が同時に都市住民身分として登場し、「惣村」から「惣町」への過渡期の在り方を示している。