著者
田島 奈都子 タジマ ナツコ
出版者
神奈川大学日本常民文化研究所 非文字資料研究センター
雑誌
非文字資料研究 = The study of nonwritten cultural materials = The study of nonwritten cultural materials (ISSN:24325481)
巻号頁・発行日
no.22, pp.35-72, 2021-03-20

本稿は中国のポスター史の黎明期に当たる、1880 ~ 1920年代半ばに製作された中国語表記のポスターを研究対象とし、それらに見られる特徴について、考察・検証したものである。この時代については、現存作品が極めて少なく、そのことが長らく研究上の足かせになっていた。しかし、2017年から数年にわたって、論者は香港文化博物館とマカオ在住の個人コレクター・蕭春源氏が所蔵する、大量の戦前期のポスターを、中国人女性研究者の呉詠梅氏と共同で、直接閲覧調査する機会を得たことで、多くの新発見を得ることができた。中国におけるポスター史は、現存する作品を見る限り、イギリス系商社である泰隆洋行を依頼主とする、1889 ~ 90年用の作品によって幕が開いた。そして以降も 1920年代後半まで、つまり技術的には製版方法が描画で、その作業に膨大な手間隙と資金を要した時代に、中国のポスター界を牽引したのは、香港や上海を拠点に活動した、貿易に携わる外資系の損害保険、商社、海運、エネルギーの四業種であった。これらは度重なるポスター製作を通して、後世につながる中国製ポスターの基本的な仕様、具体的には四六半切のアート紙を用いて、上段のリボン状の部分に社名を横書きで記載し、下段にカレンダーを配することなどを、実質的に規定・定着させた。ただし、画面中央部のポスター主題に関して述べると、外資系企業は中国の古典や故事に則ったものを選ぶ傾向が強く、これらは清代に製作・流布した蘇州版画と重なる。ところが、1910年代半ば以降になって、ポスターの依頼主として登場した中国人資本の企業は、こうした主題を採用せず、それらは同時代の近代的な風俗画を好んだ。なお、最初期の中国語表記のポスターは、これまで上海のイギリス租界に所在した印刷会社が窓口となって受注し、同社のロンドン工場で製作されたと認識されてきた。しかし、今回の調査によって、早い段階から香港に所在する印刷会社も製作を請け負っていたことが判明した。

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