著者
藤井 真湖 Mako Fujii
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.27, no.3, pp.483-607, 2003-03-24

『ジャンガル』は,『元朝秘史』や『ゲセル』と並ぶモンゴル三大文芸作品のひとつに数えられているモンゴル英雄叙事詩であり,主として口頭で受け継がれてきた。その伝承地域は,新疆(中国),カルムイク(ロシア),モンゴル国である。ジャンガルは,この物語の舞台となるアル= ボムビーン= オロンの盟主であり,彼には“12勇者”の側近がいると語られている。“12勇者”の「12」という数詞は一般に「12人」という人数を表す数詞とみなされているが,実際には12人に満たないことが多く,それ以外にも疑わしい点が多々観察される。本論では,信頼できる資料をもとに“12勇者”の表現をすべて検討し,この“12勇者”が指示する勇者を特定することを目的とする。考察の結果,「12」は数詞ではなく,固有名詞として用いられている場合が認められる。そして,固有名詞として用いられる場合,次のような3つの意味を表しているものと考えられる。1)12人で構成されていてもよいが,基本的に人数とは関係のない「12」と呼ばれる集団2)「アルタン・チェージという勇者を念頭に置いた集団」とそうでない集団のいずれかの集団3)アルタン・チェージという個人の勇者 以上の考察をふまえてカルムイクジャンガルの学術的に最も信頼できるテキストを眺めると,ここにおいては“12勇者”ではなく,むしろ“6千12勇者”という表現が主流であることが観察される。そして,この事実から再び新疆ジャンガルの“12勇者”表現の現われている箇所を振り返ると,“6千12勇者”に対応する“8千12勇者”という表現が存在していたことが確認される。ただし,新疆ジャンガルのテキストの場合,カルムイクジャンガルの場合とは異なり,“8千勇者”という表現は“12勇者”と対に現われるよりも,単独で現われる頻度が高い。このことは新疆ジャンガルのテキストで“12勇者”が「12人の勇者」として意識されることと相関関係があるものと考えられる。カルムイクジャンガルにおいては2)と3)の用法は確認されないが,新疆ジャンガルの考察を応用すると,“6千12勇者”の「12」にアルタン・チェージの暗示をみることになる。 以上により,“12勇者”の「12」は,一般に理解されているような12人という人数ではない可能性が高い。アルタン・チェージが「12」で表される理由には,「12」と隣接する「11」か「13」との数字との関連が見込まれる。この場合,「11」は,「12」の変形として以外にテキストに現われないので,対象外となる。それゆえ,対象とされる数字は「12」に隣接するもうひとつの数字「13」となる。そこで,新疆ジャンガルにおける「13」が用いられる表現をすべて検討することになる。考察を通して,「13」がある特定の勇者を指示している可能性が高いことが明かにされる。アルタン・チェージが「12」で表された背景には,通常アルタン・チェージよりも地位が低いと考えられている「13」で表される勇者と対比させるためであったと推論される。この場合,アルタン・チェージは勇者の序列を示すと考えられる座席において右側の第1席に位置する最高位の勇者であるが,アルタン・チェージと対比させられる「13」で標識づけられる勇者は左側の第1席,あるいは右側の第2席に座していることが確認される。 モンゴル文化において右側の席は左側の席よりも上位とみなされることを考慮に入れると,「13」で標識づけられる勇者は表向き(明示的に)アルタン・チェージより地位が低いにも関わらず,アルタン・チェージが「12」で標識づけられることにより,明示的に与えられている席次の序列が逆転し,アルタン・チェージは「13」で表される勇者よりも下位に位置づけられるということになる。したがって,「12」や「13」という隠喩が用いられたのは,物語の表層や現実の生活世界における秩序に照らし合わされたときに浮上する反秩序性を隠蔽するためであったと結論しうる。

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英雄叙事詩『ジャンガル』における“12勇者” : モンゴル英雄叙事詩の数詞解釈 https://t.co/e8po8QQN4m

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