- 著者
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住友 陽文
- 出版者
- 東京都立大学都市研究センター
- 雑誌
- 総合都市研究 (ISSN:03863506)
- 巻号頁・発行日
- no.46, pp.125-137, 1992-09
本稿は、1923年に大阪市社会部調査課によって作成された『余暇生活の研究』をもとにして、日露戦後から第1次大戦後における都市官僚の労働者観を把握することである。本論では、第1次大戦期に増加した労働者の余暇がいかなる内実をもっていたのかをまず明らかにし、そのことが当該期の労働問題といかに関わるのかを探ってみたい。続いて、労働者の余暇問題をめぐって、都市官僚が労働者をいかなる方向へ善導しようとしたのかという点を考究するとともに、いかなる方法によってその善導が達成されるのかという点にも論及するであろう。その際、日露戦後から顕著になる都市における公共教化施設の整備に着目して、その機能と労働者の善導の問題を究明してみたい。そこでは、地域名望家(=いわゆる「予選派」) による極地的利益に対抗する都市官僚の広域的・全階層的公共性を都市行政遂行の論理として位置づけられていることが確認されよう。最後に、都市専門官僚制の確立の問題に関わって、都市行政の断行と労働者統合との連関の位様を浮彫りにし、都市官僚がいかなる市民を基盤として自己の正当性を獲得しようとしたのかという点を見通してみたい。そしてそのような大都市における専門官僚が、資本とも国家とも異なる自律的な論理をもって労働者の「市民」化を構想していたという仮説を呈示した。