著者
山本 美紀 Miki YAMAMOTO
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 = Studies in Japanese Language and Japanese Literature (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.28, pp.1-12, 2018-03-18

藤原定家は、歌の創作においては本歌取りを得意とし、多くの歌を残している。彼は本歌取りの重要を「本歌取りだと分かるように創作することである」とした。つまり、本歌は想起されるべきものであり、本歌取りの歌はその本歌の読みを内包して創作されているということになる。本歌取りと同じ創作手法を用いられているのが、「物語二百番歌合」である。物語歌を番えて成っているこの作品もまた、もとになった物語を想起することが想定されているかのような方法が採られており、それが歌を読む際のガイドとして機能しているかのようである。一方、本歌取りの歌も「物語二百番歌合」もその作品だけで読むことが可能であり、もとになった歌や読みを想起することが必須ということではない。想起しても想起しなくても、本歌取りの歌には本歌やその読みが、「物語二百番歌合」の歌にはその歌の収められていた物語内容が内包されている。本歌取りの歌を読むということ、「物語二百番歌合」を読むということはつまり、すでにそのもととなった歌と物語を読んでいるということなのだ。

言及状況

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「詞(言葉)は古くを求めながらも、心はあくまでも新しさを求める。それは、古い歌と同じ言葉を使いながらも、その言葉が表す景色を異とすること、あるいは、古い歌の景色を想起させつつ、それに累加した新たな景色を見せるということではないだろうか。」 https://t.co/G6QHuWGGRS

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