著者
韓 雯
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.22, pp.31-46, 2012-03

日本中世の説話、軍記物語、謡曲などに、「学問を好む木」─「好文木」という梅の別称が見える。鎌倉時代の説話集『十訓抄』に初出し、『晋起居注』に見える中国の皇帝が学問を好むと梅の花が咲き、学問を怠れば梅の花が散るという話に由来すると言われている。しかし、出典とされる『晋起居注』について考察すると、内容、主人公の人物像、梅のイメージなどの面から、いくつかの問題点が浮かび上がった。それにひきかえ、「好文木」の話は日本ではよく天神の飛梅伝説と結びつき、とくに天神信仰が流行する中世から盛んに説かれていたことに気づいた。小論は、天神信仰と梅の関係をめぐって、「好文木」説話成立のルートを考察したものである。
著者
阮 毅 Yi RUAN
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.23, pp.29-46, 2013-03

周知のように、『西遊記』は「四大奇書」の一つである。江戸時代に、『西遊記』は日本に伝来し、以来日本人に親しまれてきた。『西遊記』は荒唐無稽なだけの作品と思われがちだが、実は極めて論理的な全体構造をもっている。それがゆえに、江戸時代以来、歴代の日本人がそれを翻訳し、研究し、解明に努めてきた。この小論は「四大奇書」のほかの三書と異なる『西遊記』を日本に受け入れた当時の事情から着眼し、論じていく。そして今日まで日本の作者がいかに『西遊記』に影響されてきたかを尾崎紅葉、芥川龍之介、中島敦などの作品を通じて考察する。最後に、できるかぎり日本人における『西遊記』研究の全体像を明らかにするものである。
著者
童 暁薇 TONG Xiaowei
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 = Studies in Japanese Language and Japanese Literature
巻号頁・発行日
no.30, pp.37-51, 2020-03-18

女性を家父長制と軍事体制の権威的な構造における被支配者として認識するのが一般的であるが、女性はこの構造の中で権威に従属し、みずからの役割に従順にしばしば熱狂的に従うことによってまたこのシステムを支え、補完する。十五年戦争中、数多くの女性作家は中国戦地へ従軍慰問をした。戦地ルポで意図的に中国兵士の「敵」イメージを作り、戦争を宣揚して、前線と銃後一体の共同体を強める戦争協力者となった。一方で、「敵」作りにおいて、戦地のもう一面が遮断されてしまい、そのことによって彼女たちの内心の不安や良心的負担などは解消されることが可能になる。
著者
市川 真未 Mami ICHIKAWA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 = Studies in Japanese Language and Japanese Literature (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.29, pp.59-67, 2019-03-18

本稿ではTwitter、ブログ、ドラマなどからマウンティングと意図された、またはそう捉えられた発話を取り上げ、その特徴をLeech(1983) のPoliteness principleを用いて考察した。その結果、自身の優位性を示すことに重点を置いた明示的なマウンティングから、見せかけのポライトネスを見せつつ暗示的に攻撃するものまで幅広く存在することが分かった。また、参与者B にとってデリケートな話題であると知りながらあえてその話題に触れる、ポライトな言語行動が期待されている場面で最大限に賞賛を行わない、感謝表明の代わりに不満表明をする、賞賛発話の中で否定語彙を使用するなどの特徴も見られた。
著者
大塚 望 OTSUKA Nozomi
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 = Studies in Japanese Language and Japanese Literature (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.31, pp.(11)-(29), 2021-03-18

「重複語(畳語)している/した」の意味・用法、機能を明らかにすべく、類義の「ぽい」と「らしい」との比較を行なった。意味的な共通点は「前接部の量、特徴や性質が強く現れていること」で、相違点は当該表現が「その数量、性質が極めて多い、大きいことを示す場合のみに使われる」という点であった。また、レアリティにも相違が見られ「ぽい」が反事実、「らしい」が事実を示すのが本来で、当該表現はその両方を示すことができる。そして、当該表現は「前接要素に含まれる『属性的な性質』を引っ張りだして『形容詞化する』動詞形式の語尾(形容詞機能語尾)」であり、その生産性は高いと言える。
著者
山本 美紀
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.22, pp.17-30, 2012-03

鎌倉時代初期、藤原定家によって創られた『物語二百番歌合』は、『源氏物語』と『狭衣物語』の物語の歌を番えた前半部の『百番歌合』と、『源氏物語』と『夜の寝覚』などの十篇の物語の歌を番えた後半部の『後百番歌合』からなる。各歌合は百番二百首からなり、それぞれに詞書と作者名が添えられている。古くよりこの歌合は、散逸物語の本文調査や、定家所持の『源氏物語』の本文を探る対象として取り扱われてきた。しかし、『物語二百番歌合』はひとつの作品であり、そこには創作者 藤原定家の意識が織りこまれている。『物語二百番歌合』の各番の詞書は、歌の背景がわかるよう物語の一部を表出しており、そのようにして物語の歌を番えるという手法をとって歌と物語、また歌と物語の関係を表している。そこで、本論文では『物語二百番歌合』の前半部である『百番歌合』の三つの番に着目し、歌と物語の視点から定家の制作意図の一部を探る、新たな試みである。
著者
大塚 望 Nozomi OTSUKA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.24, pp.41-61, 2014-03-20

「する」は日本語の中で最もよく使用される単語の一つである。最もよく使われるということは,日本語を学習する者にとっては最もよく知っていなければならない単語であるということになる。初級レベルの日本語教科書(『みんなの日本語初級』『初級日本語げんき』)では「する」をどう提示し,何を教えているのか全文調査を行い,実際に「よく知る」レベルまでの学習ができるのかどうか考察した。その結果,基本的な例文は提示されていたが,その説明が無いまたは不十分なものがあった(表参照)。一方,類義語「やる」は説明が全くなく,数例掲載されているに過ぎなかった。以上の結果を日本語学習の更なる充実のための基礎資料としたい。
著者
山本 美紀 Miki YAMAMOTO
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 = Studies in Japanese Language and Japanese Literature (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.28, pp.1-12, 2018-03-18

藤原定家は、歌の創作においては本歌取りを得意とし、多くの歌を残している。彼は本歌取りの重要を「本歌取りだと分かるように創作することである」とした。つまり、本歌は想起されるべきものであり、本歌取りの歌はその本歌の読みを内包して創作されているということになる。本歌取りと同じ創作手法を用いられているのが、「物語二百番歌合」である。物語歌を番えて成っているこの作品もまた、もとになった物語を想起することが想定されているかのような方法が採られており、それが歌を読む際のガイドとして機能しているかのようである。一方、本歌取りの歌も「物語二百番歌合」もその作品だけで読むことが可能であり、もとになった歌や読みを想起することが必須ということではない。想起しても想起しなくても、本歌取りの歌には本歌やその読みが、「物語二百番歌合」の歌にはその歌の収められていた物語内容が内包されている。本歌取りの歌を読むということ、「物語二百番歌合」を読むということはつまり、すでにそのもととなった歌と物語を読んでいるということなのだ。
著者
市川 真未 Mami ICHIKAWA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 = Studies in Japanese Language and Japanese Literature (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.29, pp.59-67, 2019-03-18

本稿ではTwitter、ブログ、ドラマなどからマウンティングと意図された、またはそう捉えられた発話を取り上げ、その特徴をLeech(1983) のPoliteness principleを用いて考察した。その結果、自身の優位性を示すことに重点を置いた明示的なマウンティングから、見せかけのポライトネスを見せつつ暗示的に攻撃するものまで幅広く存在することが分かった。また、参与者B にとってデリケートな話題であると知りながらあえてその話題に触れる、ポライトな言語行動が期待されている場面で最大限に賞賛を行わない、感謝表明の代わりに不満表明をする、賞賛発話の中で否定語彙を使用するなどの特徴も見られた。
著者
蓮沼 昭子 Akiko HASUNUMA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.25, pp.1-27, 2015-03-20

認識的モダリティとの共起関係,および終助詞「わ」の用法との相違を手掛か\nりに,終助詞「さ」の本質的機能の解明を試みた。認識的モダリティ,および文\n類型との共起関係において,「さ」と「わ」は相補的分布を成すが,この現象が\n生じる理由を,日本語の認識的モダリティの意味的類型と文類型の中に認められ\nる異質性を指摘することにより明らかにした。「わ」の用法との対照に基づき,\n「さ」は,内部知識の点検という心的処理を介して,話し手が構成した情報の伝\n達を担うという機能を,その中核に有することを指摘し,その適格な使用を条件\nづける文脈的条件についても解説を加えた。
著者
李 暁博 Xiaobo LI
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.26, pp.55-72, 2016-03-20

本稿は、「自己」を、他人との対話の中で構築され、可変し、交渉されるものだと捉える上で、筆者が中国で行った構成主義的日本語の授業を履修した一人の大学生の自己変容のストーリーを叙述し、バフチンの「対話」という視点から分析を試みた。本研究の意味は、人間の自己変容のプロセスを「対話」の視点から解釈する可能性を提示したのみならず、教師は本当の意味の「学びの共同体」に学生たちを参加させれば、学生たちの変容が驚くほどに起きるという可能性を見せてくれたところにもあろう。対話
著者
森下 涼子 Ryoko MORISHITA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.24, pp.61-77, 2014-03-20

これまでの『山の音』研究では、伝統的な分野においては『源氏物語』ばかりに焦点があてられ、能や謡曲について触れたものは少ない。『山の音』には、能面や謡曲「卒都婆小町」に関する記述が多くみられるにも関わらず、これまであまり研究が進んでこなかったのはなぜだろうか。管見のかぎり、それは『山の音』に研究者による注釈がないからだと考える。また、能に触れられているものでも、謡曲「卒都婆小町」からの引用がみられる、との指摘に留まるものが多く、菊慈童や面に関しても表面的に論じられているだけである。しかし、『山の音』と能の関わりを論じる際、表面をさらうだけでは見えてこないものがあるのではないか。『山の音』の深層に潜むものを読み解くには、能または謡曲が有効なカギとなってくるに違いない。なぜなら、言葉では描き切れない世界を表現するために、川端が能を用いたと考えられるからだ。そこで本論文では、「春の鐘」を中心に、『山の音』に表象された能に注目し、『山の音』は <血の繋がり> に願いを込めた信吾が、<血の繋がり> を持たない菊子によって救われる物語であることを明らかにしたい。
著者
徳永 淳 TOKUNAGA Atsushi
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 = Studies in Japanese Language and Japanese Literature (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.31, pp.20-31, 2021-03-18

昭和四十二(一九六七)年に発表された野坂昭如「子供は神の子」は、その表題を反転させた内容の小説である。妹の葬斂で大人たちからの賞讃を享受した小学校二年生の冽は、その晴れがましさを再度味わいたいがために「祖母」を死に至らしめる。しかし、大人たちは冽が「祖母」を死に至らしめたことなど知る由もなく、再び彼を優遇する。 本作は、子供を純粋無垢な存在として扱う大人たちを批判していると捉えられてきた。しかし、その批判もまた大人たちを主眼に置き、冽の内面に焦点をあてていない。 本稿では、大人たちの誤認を指摘した上で、冽の内面も分析し、「子供は神の子」を捉え直していこうと思う。