- 著者
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並松 信久
- 出版者
- 京都産業大学
- 雑誌
- 京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
- 巻号頁・発行日
- vol.52, pp.69-101, 2019-03-30
宮沢賢治(1896–1933)は農村活動と信仰に根ざした創作活動を行ない,多くの詩や童話を残した。賢治を対象とする数多くの研究業績は,主に作品を通して芸術と宗教について語られている。それと同時に,賢治の履歴や活動から,農業実践や農村活動にも焦点があてられている。農業に関心をもった知識人は数多くいるが,高等教育機関で農学を学び,農業を実践した知識人は賢治だけであった。しかし,賢治の作品と農業との関係は十分に解明されていない。 本稿は,賢治の作品を通して,賢治が当時の農業や農村をどのようにとらえたのかを考察した。賢治の作品は,自然科学の用語が多く使用されていた。さらに人間が主役となる小説は全く書かれていなかった。物語は自然を対象としたものが多く,そこで描かれる人間もまた動植物の装いを帯びていた。この点で賢治の作品には,農業が色濃く反映されていた。本稿では,著名な詩「雨ニモマケズ」の一節をめぐる解釈に基づいて,「農学の有効性」,「農村問題とその対策」,「農村社会での疎外感」の順に考察した。 賢治の農村活動はほとんど成果を残さなかった。活動はうまくいかなかったために,賢治の悩みや挫折は大きなものであった。しかし,それこそが賢治を創作や信仰へと駆り立てる原動力となった。言い換えると,科学技術に代表される近代性と,血縁や地縁に代表される伝統との葛藤が,賢治の作品を生み出す大きな要因となったといえる。