著者
高山 秀三
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.279-320, 2014-03

三島由紀夫はゲーテやトーマス・マンに傾倒していたが,このことは必然的に彼らがその代表者だったドイツ教養小説の伝統に三島が何らかのかたちで影響を受けていたことを意味する。教養小説(Bildungsroman)はゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』やマンの『魔の山』のように,素朴な青年を主人公として,その内面的成長を描く文学ジャンルである。教養小説の主人公は人生の意味を探究し,教養Bildungを身につけようという人文主義的な理想を抱いている。教養小説は,市民階級興隆期の産物であって,その人生肯定的性格も当時の市民層のもつ楽観性から生じている。 三島文学にシニシズムや虚無感や破壊衝動が濃厚であることを考えれば,三島由紀夫と,根本的に理想主義と人生肯定を特質とする教養小説は一見まったくそぐわない。しかし,否定的な傾向を前面に押し出ている三島文学のなかにも生を肯定することへの志向はひそかに存在している。『潮騒』はその顕著な一例だが,おしなべて『仮面の告白』や『金閣寺』など三島の青年期の小説には,その自伝的な要素のなかに意外につよい教養小説的性格を読みとることができる。本論は,三島の青年期最後の記念碑的作品である『鏡子の家』を『魔の山』と比較しながら,そのひそかな教養小説的性格を明らかにしている。市民層没落の時代に書かれた『魔の山』は,『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』のようには明るい未来を予示する展開を持ち得ず,あくまでもパロディー的な教養小説になっている。同様に,『鏡子の家』もニヒリズムが蔓延する時代の芸術作品である以上,そこで人文主義的な教養理想が高らかに歌い上げられるというようなことはない。むしろ,三島由紀夫はこの小説を「ニヒリズム研究」の書であると公言している。しかし,この小説の執筆時において人生との和解を志していた三島が,この小説にひそかな教養小説的性格を与えたことは注目に値する。

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