- 著者
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八幡 恵一
ヤハタ ケイイチ
Yahata Keiichi
- 出版者
- 大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
- 雑誌
- 年報人間科学 (ISSN:02865149)
- 巻号頁・発行日
- vol.37, pp.55-70, 2016-03-31
本稿では、シャルル・ペギーの『クリオ 歴史と異教の魂の対話』という著作における歴史の哲学について論じる。ペギーはこの作品で、「老い」という概念を中心とする独特な歴史の理論を展開している。まず、ペギーがこの老いの概念についてどのような説明をあたえているかを確認する。かれによれば、老いとは、「不可逆性」を特徴とする「消耗」の運動である。老いのなかでは、あらゆるものが失われていき、そしてなにもとりもどすことができない。ペギーは、このような老いの概念を中心に、かれ特有の歴史哲学を構築する。つづいて、ペギーのこの老いの歴史と、メルロ=ポンティの制度の歴史を比較的に考察する。メルロ=ポンティは、ドゥルーズとならんで20世紀におけるペギーの重要な読者のひとりだが、両者のあいだには、歴史の思想をめぐって決定的な隔たりが存在する。この隔たりの意味と、そしてそれを生む原因となったメルロ=ポンティの誤解を明らかにする。最後に、以上をふまえてペギーにおける「出来事」の概念について論じる。ペギーは、ドゥルーズをはじめとして、ときに出来事の思想家とみなされるが、かれの思想における出来事の意味は、一般に理解されるそれとは異なる。つまりペギーにとって、出来事はいっさい特異性をもたない。そして、そのような特異的でない出来事がもつ「老い」を利用して、その出来事を内部からさかのぼるというのが、『クリオ』におけるペギーの試みであり、ここでは、それを反-特異的な出来事の歴史学と名づける。