著者
Clercq Lucien
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 = Research Faculty of Media and Communication, Hokkaido University
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.1-35, 2017-03-25

今日、日本の人口およそ1億2,700万人に対し、北海道に暮らすアイヌはおよそ1万7千人とされている(「平成25年度 北海道アイヌ生活実態調査報告書」、北海道環境生活部による)。かつて、同化を急ごうと目論む国家権力により過去からの暴力的な断絶を強いられたアイヌではあるが、1960代以降になると、同様の試練に直面した他の先住民族と共に、自民族の過去を積極的に探し求めるようになる。先住権の獲得と適用とを求める長い闘争の最中、2008年6月6日には、アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議が衆参両議院で採択されるに至ったが、それでもなお、アイヌによる断片化された過去の探索が止むことはないだろう。なぜならその探求は、過去を復元するために、あるいは過去が消失した理由を説明するために不可欠だからである。過去の探求はまた、多数派とは異なる歴史と出自を拠り所として、より実際的な政治的要求をするためにも欠かせないものである。だからこそアイヌは、自己の歴史と出自とを常に定義し、洗練しようと努めているのである。実際アイヌは、日本社会への同化を容易にするために、極めて早い段階から若者たちの日本語教育と社会文化的な模倣を励行する一方で、家庭内や政治的な集いの場においては、先住民としての特殊性を常に意識しながら、異文化受容に抵抗するための戦略を練り上げていたのである。植民地主義的企ての当然の帰結として、大量の和人の流入は、北海道に新たな社会の出現をもたらした。アイヌの生態学的・社会文化的基盤は新参者の登場によって修正を迫られたのである。しかし、新しい社会の登場が既存のアイヌ社会を激変させる一方で、その新たな社会の内部や国体の内部にアイヌが完全に吸収されることはなかった(その理由の一つとして1899年に制定された「旧土人保護法」の存在があげられよう。アイヌの同化を目的としたこの法律は、伝統的な言語、風習、価値の否定を伴う疎外的な性格を有していたのである)。これら二つのグループの関係は、おおまかには、植民者と被植民者の関係の枠内において捉える事が可能である。アイヌは、数の面からも技術の面からも、巨大な植民地主義的暴力を押し返すための術をもたず、征服の間もその後も、両者間の関係を調整することができずにいたのである。植民者たちは、アイヌからの収奪を促進するため、その歴史性をながらく否定してきた。しかし実際は、アイヌは歴史性の創造者でありまたその保持者であるといえるだろう。自らを襲う幾多の変動に対し、アイヌは決して受動的であったわけではない。アイヌの共同体はむしろ、数々の英雄的人物(往年の戦争指導者、芸術家、作家そして今日の活動家)の行動がそれを示すように、度重なる異文化受容の試練に際して発揮される闘争性と強靭な抵抗力、並びに他の先住民族の闘争にヒントを得た戦術の練磨によって特徴付けられるのである。抵抗運動の発展に伴い、アイヌを襲う社会文化的な変動に抗するための、政治的な直接行動主義もまた、その激しさを増していった。こうした動向を背景として、1960年代半ばより、アイヌのアイデンティティとその歴史の(再)構築を目指した重要な運動が巻き起こることとなる。その運動は、アメリカインディアンとアフリカ系アメリカ人の運動から部分的に想を得ており、主に雑誌(『アヌタリアイヌ:われら人間』)を通じて表明された。この事実は、アイヌが国際的なネットワークに連なったことを示しており、その主要な目的は、孤立の解消とともに、それまで彼らの要求に好意的に耳を傾けようとはしなかった政府に対して圧力をかけることにあった。

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