著者
白木澤 涼子
出版者
北海道大学大学院経済学研究院
雑誌
經濟學研究 (ISSN:04516265)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.93-122, 2021-12-14

1940年制定の「部落会町内会等整備要領」(内務省訓令第一七号)により,新たに部落会・町内会が創設された。筆者はかつて,これらは行政法上,法制化ではなく訓令という形を採らざるを得ず,それが法制化なき明治地方自治体制の変容をもたらしたとした。しかし,1942年に部落会・町内会の法制化が俎上に上る。「部落会町内会ノ法制化ヲ必要トスル理由」(「部落会町内会等ニ関スル訓令通知綴」[1942](「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A20040043500,表紙・目次(国立公文書館)」,画像36-48)では,「市町村自治ノ部落会町内会ヘノ実質的移行トニ伴ヒ」,部落会・町内会を「嘗ツテ市町村ヲ法制化シタルト同一ノ理由ニ依リ之ヲ法制化」するという。「自治ノ移行」とは何かを解き明かすことが,明治地方自治体制の「自治」を明らかにすることとなるのではないだろうか。本稿では,当時の内務省が「自治」をどのように捉え,どのように改変しようとしていたのかを「部落会町内会ノ法制化ヲ必要トスル理由」を中心に考察した。その結果,1943年市制町村制中改正法で,部落会・町内会が市制町村制と同じ「法人化」ではなく,曖昧な形で「法制化」され,同時に明治地方自治体制が再編されたことを論じた。

言及状況

Twitter (1 users, 1 posts, 0 favorites)

メモ:白木澤涼子,2021,「明治地方自治体制における「自治ノ移行」とはなにか―― 1943年部落会・町内会の法制化から考える」『經濟學研究』71(2): 93-122. https://t.co/DdS8p95zXW

収集済み URL リスト