- 著者
-
上田 哲司
- 出版者
- 北海道大学大学院文学研究院北方研究教育センター
- 雑誌
- 北方人文研究 (ISSN:1882773X)
- 巻号頁・発行日
- vol.15, pp.99-118, 2022-03-25
近代の名望家に関する従来の研究では、彼らを近世の豪農層から連続する存在と理解する傾向が強かった。しかし近年では、近代になって新たに勃興した名望家がいることが確認され、改めて近代的な存在として名望家を把握しなおすことが提起されている。
近代的な存在として名望家の把握を試みた時、北海道は非常に重要なフィールドである。なぜなら、北海道の、特に内陸部においては、明治になって大挙して押し寄せた移民たちによって新村落の形成が相次いで行われたのであり、ここに登場した名望家たちには、近世以来の地縁的な連続性は一切ないからである。しかし、現在、北海道の名望家研究は量的に乏しい。それは、彼らが名望家としてよりも、北海道の開拓者として把握されてきたことが一因と思われる。
以上の研究史的背景を踏まえ、筆者は、北海道における名望家研究の事例を積み上げる必要を痛感した。しかし、そのためには、なによりもまず、名望家に関する史料を発掘しなければならない。そこで筆者は、北海道大学の関係者たちとともに、北広島市エコミュージアムセンターが収蔵する阿部仁太郎関係資料の調査に取り組んできた。仁太郎は、明治時代に豊平村(現在の札幌市豊平区)に入植し、近代的な名望家へと立身した人物である。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大のため、調査の中断が余儀ないものとなった。
そこで今回は、仁太郎の豊平入植以前の動向について、北海道立図書館・国立公文書館などの収蔵資料を用いて明らかにしていこうと思う。本稿においては特に、近代的な名望家となった仁太郎が、貧困層の出身であったことを明らかにする。この成果は、名望家と豪農は必ずしも連続しないことを、間接的に示すであろう。