- 著者
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近藤 光博
- 出版者
- 東京大学文学部宗教学研究室
- 雑誌
- 東京大学宗教学年報 (ISSN:2896400)
- 巻号頁・発行日
- vol.14, pp.27-41, 1997-03-31
96年4月から5月にかけ,インドでは第11次連邦下院選挙が行われた。台風の目となったのは,ヒンドゥ・ナショナリズムを掲げて独自のタカ派路線を行くインド人民党(the Bharatiya JanataParty : BJP)であった。彼らは,単独で534中の161議席を獲得,インド国民会議派(the Indian National Congress (I) :コングレス)が独立以来占め続けてきた下院第一党の座を奪い取った上,党外から34議席の支持を得て,ごく短期間であったとはいえ,党内穏健派の頭目ヴァジパイー(A. B. Vajpayee)を首相の座につけることに成功した。しかし,党外の支持議員のさらなる抱き込みに失敗し,下院で過半数の承認を得られないと見越したヴァジパイー首相は,数日にわたる国会での激論の後,信任投票の直前に自ら身を引いた(5月16日就任,5月28日内閣総辞職)。日本のジャーナリズムはしばしばBJPを「ヒンドゥ至上主義政党」と形容してきた。そこでは,排他的で狂信的な宗教政党としてのBJPのイメージばかりが強調されるため,インドの政治動向に対する読者の不安感・不信感は相当に(ときには極端なまでに)あおり立てられたことだろう。本稿は,第一に, BJPの歴史的背景やインド国民がこの党に寄せる支持の内容を検討することで,「ヒンドゥ至上主義政党」というBJPイメージの極端なステレオ・タイプに修正が施されるべきこと,そして<必ずしも過激ではない現実的な民主議会主義政党>としての側面にも十分な注意が払われるべきことを指摘する。このことと関連して,第二に,世界各地で昨今いよいよ激しく燃えあがりつつある<エスニック・アイデンティティの復活と政治化>とでも呼ぶべき一連の現象との関連につき,理論研究の視覚から, BJPとその兄弟組織内部のダイナミズムをごく簡単に論じる。