著者
近藤 光博
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.101-123, 1999-06
著者
近藤 光博
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.397-421, 2004-09-30

本稿の主題は、現代インドの日常生活を強く支配する対「ムスリム」偏見である。とくに「ムスリム」を「余所者」「侵略者」、さらには「狂信者」「分離主義者」とみなす二組のステレオタイプを取り出し、それぞれについてその歴史的背景を整理する。そこで明らかにされるのは、右のような強固な偏見は単なる空想や虚偽ではなく、一定の事実性にもとづく共通感覚であること、しかもその偏見の強固さのゆえに偏見を強化する言動が再生産されるという循環関係がインド社会に構造化されていることである。現代インドのコミュナリズムの基底をそのようなものとして提示したうえで、本稿はさらに、この特殊インド的な問題が宗教研究の諸理論と深く関連していることを指摘する。具体的には、宗教分類学と宗教概念の関係、習合概念の限界、ユダヤ=キリスト教=イスラーム的な世界観・文明原理の特殊性、宗教概念と共同体概念の関係などの諸問題が、コミュナリズム論にとって有する意義の大きさを指摘する。
著者
近藤 光博
出版者
東京大学文学部宗教学研究室
雑誌
東京大学宗教学年報 (ISSN:02896400)
巻号頁・発行日
no.12, pp.p87-100, 1994

「マハトマ」の尊称で名高いMohandas Karamchand Gandhi(1869-1948)をして世界にその名を知らしめているのは,徹底した非暴力による政治運動,<サティアグラハ>である。彼は,<サティア>すなわち「真理」と呼ぶものを,自分の生きる時空において実現せしめんと,生涯にわたって真摯な努力を重ねた。そうした努力のうち,彼にとって最も重要だったものの一つが,虐げられた者の具体的救済であり,また別のものが,<アヒンサー>すなわち「非暴力」であった。そこから彼の<サティアグラハ>は生まれている。これに比すれば,ガンディーがきわめて厳格な禁欲主義者であったことは,広く知られているとは言えない。彼は,衣食住すべての生活領域にわたって,最も貧しく質素な生活をこそ最高のものとみなした。仕草や話しぶりも,非常に抑制された穏やかなものだったと伝えられている。彼の目指していたものは,あらゆる欲望と情動を意思のコントロール下においてしまうことであった。そして,こうした禁欲の諸実践もまた,彼にとっては<サティア>実現のために欠かすことのできない課題として認識されていたのである。なかでも性欲は,制御されるべき最も深刻な課題とみなされた。幼児婚の風習によって13才で結婚していたガンディーは,37才のとき,妻カストゥルバーイとの性交渉の断念に踏みきる。これが<ブラフマチャリア>の誓いである。その後の生涯,ガンディーは,この誓いを全うするため試行錯誤を重ね,比較的早い段階において,性欲の制御のためには全面的な禁欲の実践が必要だとの結論を得ている。すなわち,この誓いを境に,味覚と食欲の制御に始まって,彼のセルフ・コントロールの努力は次第に生活の隅々にまで及んでいくのである。こうした意味で,彼の<ブラフマチャリア>は,単に"性的禁欲"という伝統的な意味でばかりとらえられるべきではない。彼にとっての性欲の問題とは,彼の禁欲的ライフ・スタイル全体にとっての出発点・焦点としてのみ把握可能なものである。しかし,ガンディーの禁欲の全体像を論ずるのはこの小稿では足りない。本稿では,性的禁欲としての<ブラフマチャリア>に限定して議論を進めたいと思う。そして特に,彼がそこにかけた情熱,あるいは動機・目的を論じてみたいと思う。
著者
池澤 優 近藤 光博 藤原 聖子 島薗 進 市川 裕 矢野 秀武 川瀬 貴也 高橋 原 塩尻 和子 大久保 教宏 鈴木 健郎 鶴岡 賀雄 久保田 浩 林 淳 伊達 聖伸 奥山 倫明 江川 純一 星野 靖二 住家 正芳 井上 まどか 冨澤 かな
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

本研究は、欧米において成立した近代的宗教概念とそれに基づく宗教研究が、世界各地、特に非欧米社会においてそのまま受容されたのか、それとも各地域独自の宗教伝統に基づく宗教概念と宗教研究が存在しているのかをサーヴェイし、従来宗教学の名で呼ばれてきた普遍的視座とは異なる形態の知が可能であるかどうかを考察した。対象国・地域は日本、中国、韓国、インド、東南アジア、中東イスラーム圏、イスラエル、北米、中南米、ヨーロッパである。
著者
近藤 光博
出版者
東京大学文学部宗教学研究室
雑誌
東京大学宗教学年報 (ISSN:02896400)
巻号頁・発行日
no.14, pp.27-41, 1996

96年4月から5月にかけ,インドでは第11次連邦下院選挙が行われた。台風の目となったのは,ヒンドゥ・ナショナリズムを掲げて独自のタカ派路線を行くインド人民党(the Bharatiya JanataParty : BJP)であった。彼らは,単独で534中の161議席を獲得,インド国民会議派(the Indian National Congress (I) :コングレス)が独立以来占め続けてきた下院第一党の座を奪い取った上,党外から34議席の支持を得て,ごく短期間であったとはいえ,党内穏健派の頭目ヴァジパイー(A. B. Vajpayee)を首相の座につけることに成功した。しかし,党外の支持議員のさらなる抱き込みに失敗し,下院で過半数の承認を得られないと見越したヴァジパイー首相は,数日にわたる国会での激論の後,信任投票の直前に自ら身を引いた(5月16日就任,5月28日内閣総辞職)。日本のジャーナリズムはしばしばBJPを「ヒンドゥ至上主義政党」と形容してきた。そこでは,排他的で狂信的な宗教政党としてのBJPのイメージばかりが強調されるため,インドの政治動向に対する読者の不安感・不信感は相当に(ときには極端なまでに)あおり立てられたことだろう。本稿は,第一に, BJPの歴史的背景やインド国民がこの党に寄せる支持の内容を検討することで,「ヒンドゥ至上主義政党」というBJPイメージの極端なステレオ・タイプに修正が施されるべきこと,そして<必ずしも過激ではない現実的な民主議会主義政党>としての側面にも十分な注意が払われるべきことを指摘する。このことと関連して,第二に,世界各地で昨今いよいよ激しく燃えあがりつつある<エスニック・アイデンティティの復活と政治化>とでも呼ぶべき一連の現象との関連につき,理論研究の視覚から, BJPとその兄弟組織内部のダイナミズムをごく簡単に論じる。Movements representative of so-called "religious nationalism" have been blazing up in many parts of the world. The rise of Hindu nationalism under the Sangh Parivar, which means "The Holy Family of the RSS [see below] " and which is the alias of organizations descended from it, is considered to be a good example of this phenomenon. This paper, however, underscores those aspects of the Bharatiya Janata Party (the BJP) and the Rashtriya Swayamsevak Sangh (the RSS being the mother body for the BJP and its brother organizations) that have a strong affinity for the values, institutions, and systems of Western-style modernity and secularism. These aspects are especially prevalent within the BJP, a democratic parliamentarian party whose political realism is not necessarily radical or fanatic. This study suggests, therefore, that we must pay attention not only to the explosive manifestation of "radical vectors" within such movements, but also to deeply rooted "moderate vectors." We should recognize the possibility for moderate vectors of religious nationalism to coexist with secular nationalism, a perception which could relativize the latter within the political context. Of course, we must also keep in mind that radical vectors are not yet stable, and that we may live to experience serious or even destructive consequences as a result.
著者
近藤 光博
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.397-421, 2004-09-30 (Released:2017-07-14)

本稿の主題は、現代インドの日常生活を強く支配する対「ムスリム」偏見である。とくに「ムスリム」を「余所者」「侵略者」、さらには「狂信者」「分離主義者」とみなす二組のステレオタイプを取り出し、それぞれについてその歴史的背景を整理する。そこで明らかにされるのは、右のような強固な偏見は単なる空想や虚偽ではなく、一定の事実性にもとづく共通感覚であること、しかもその偏見の強固さのゆえに偏見を強化する言動が再生産されるという循環関係がインド社会に構造化されていることである。現代インドのコミュナリズムの基底をそのようなものとして提示したうえで、本稿はさらに、この特殊インド的な問題が宗教研究の諸理論と深く関連していることを指摘する。具体的には、宗教分類学と宗教概念の関係、習合概念の限界、ユダヤ=キリスト教=イスラーム的な世界観・文明原理の特殊性、宗教概念と共同体概念の関係などの諸問題が、コミュナリズム論にとって有する意義の大きさを指摘する。
著者
近藤 光博
出版者
東京大学文学部宗教学研究室
雑誌
東京大学宗教学年報 (ISSN:02896400)
巻号頁・発行日
no.14, pp.27-41, 1996

96年4月から5月にかけ,インドでは第11次連邦下院選挙が行われた。台風の目となったのは,ヒンドゥ・ナショナリズムを掲げて独自のタカ派路線を行くインド人民党(the Bharatiya JanataParty : BJP)であった。彼らは,単独で534中の161議席を獲得,インド国民会議派(the Indian National Congress (I) :コングレス)が独立以来占め続けてきた下院第一党の座を奪い取った上,党外から34議席の支持を得て,ごく短期間であったとはいえ,党内穏健派の頭目ヴァジパイー(A. B. Vajpayee)を首相の座につけることに成功した。しかし,党外の支持議員のさらなる抱き込みに失敗し,下院で過半数の承認を得られないと見越したヴァジパイー首相は,数日にわたる国会での激論の後,信任投票の直前に自ら身を引いた(5月16日就任,5月28日内閣総辞職)。日本のジャーナリズムはしばしばBJPを「ヒンドゥ至上主義政党」と形容してきた。そこでは,排他的で狂信的な宗教政党としてのBJPのイメージばかりが強調されるため,インドの政治動向に対する読者の不安感・不信感は相当に(ときには極端なまでに)あおり立てられたことだろう。本稿は,第一に, BJPの歴史的背景やインド国民がこの党に寄せる支持の内容を検討することで,「ヒンドゥ至上主義政党」というBJPイメージの極端なステレオ・タイプに修正が施されるべきこと,そして<必ずしも過激ではない現実的な民主議会主義政党>としての側面にも十分な注意が払われるべきことを指摘する。このことと関連して,第二に,世界各地で昨今いよいよ激しく燃えあがりつつある<エスニック・アイデンティティの復活と政治化>とでも呼ぶべき一連の現象との関連につき,理論研究の視覚から, BJPとその兄弟組織内部のダイナミズムをごく簡単に論じる。
著者
近藤 光博
出版者
東京大学文学部宗教学研究室
雑誌
東京大学宗教学年報 (ISSN:2896400)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.27-41, 1997-03-31

96年4月から5月にかけ,インドでは第11次連邦下院選挙が行われた。台風の目となったのは,ヒンドゥ・ナショナリズムを掲げて独自のタカ派路線を行くインド人民党(the Bharatiya JanataParty : BJP)であった。彼らは,単独で534中の161議席を獲得,インド国民会議派(the Indian National Congress (I) :コングレス)が独立以来占め続けてきた下院第一党の座を奪い取った上,党外から34議席の支持を得て,ごく短期間であったとはいえ,党内穏健派の頭目ヴァジパイー(A. B. Vajpayee)を首相の座につけることに成功した。しかし,党外の支持議員のさらなる抱き込みに失敗し,下院で過半数の承認を得られないと見越したヴァジパイー首相は,数日にわたる国会での激論の後,信任投票の直前に自ら身を引いた(5月16日就任,5月28日内閣総辞職)。日本のジャーナリズムはしばしばBJPを「ヒンドゥ至上主義政党」と形容してきた。そこでは,排他的で狂信的な宗教政党としてのBJPのイメージばかりが強調されるため,インドの政治動向に対する読者の不安感・不信感は相当に(ときには極端なまでに)あおり立てられたことだろう。本稿は,第一に, BJPの歴史的背景やインド国民がこの党に寄せる支持の内容を検討することで,「ヒンドゥ至上主義政党」というBJPイメージの極端なステレオ・タイプに修正が施されるべきこと,そして&lt;必ずしも過激ではない現実的な民主議会主義政党&gt;としての側面にも十分な注意が払われるべきことを指摘する。このことと関連して,第二に,世界各地で昨今いよいよ激しく燃えあがりつつある&lt;エスニック・アイデンティティの復活と政治化&gt;とでも呼ぶべき一連の現象との関連につき,理論研究の視覚から, BJPとその兄弟組織内部のダイナミズムをごく簡単に論じる。