著者
瀬崎 圭二
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.175-190, 2003-03-01

明治40年代に本格化するデパートメントストア的な販売法は、実際的行為のレベルにおける<万引>の可能性を広げることとなった。急増する<万引>を前にした目本精神医学の泰斗呉秀三は、「万引(窃盗の一種)の精神状態」(明治42・1)の中で、欧米の精神医学が呈する<窃盗癖=kleptomania>なる概念を導入し、<万引>の原因を女性の<ヒステリー>から生じる<虚栄心>へと帰着させる。この呉の医学的見解こそが、呉服店/百貨店における女性の<万引>に対する認識のパラダイムを形象することになるが、言うまでもなくそれは性的な偏差を伴った欧米の精神医学を反復するものでしかなく、<万引>する女性達に対して<病>の認識を付与していくことになった。このような認識のパラダイムに亀裂を入れるのが寺田寅彦の「丸善と三越」(大正9・6)であり、寅彦の言説は、医学的認識の中で保持されている<虚栄心>という読解コード自体を疑問に付すと同時に、消費システムの虚構性を暴露する可能性を持った行為として<万引>を捉えている。こうした試みは、物理学という内部に自足することのない寅彦の言説における<エッセイ的思考>によって支えられていたと言えよう。

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