著者
村上 克尚
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.241-257, 2016-03-01

本稿の目的は、武田泰淳の『富士』を、同時代の精神障害者をめぐる言説を参照しながら検討し、両者の共通性と差異とを分析することである。『富士』は、甘野院長や一条といった登場人物を通じて、患者を「人なみ」になるように「治療」しようとする試みや、患者を神のごとき超越者に高めることで尊厳を回復しようとする試みを批判的に描いている。これは、同時代の「反精神医学」的な言説と響き合う。それに加えて、『富士』の語り手である大島は、序章と終章において、動物をめぐる長大な思索を展開する。これは、健常者/精神障害者の区分が、国家による、人間/動物(=生きるに値する命/生きるに値しない命)の分割に規定されていることを示唆する。最終的に、大島は、患者たちの依存し、寄生する繋がりに、自分の身体を開いていく。ここから読み取られるべきは、依存的(=動物的)な生を否認するのではなく、むしろそれに内在することで、国家が掲げる、自律的な「人間」の理念を解体していくという道筋である。この点にこそ、『富士』というテクストの独自性を指摘できる。

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