著者
喜多 野裕子
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.159-171, 2014-12-20

『ハムレット』におけるオフィーリアについては, これまでジェンダーやセクシュアリティ, あるいは女性の狂気の表象という観点から解釈されてきた. しかしBialo が指摘するように, そのような解釈は階級を見落としがちであり, さらにはオフィーリアの狂気の場がデンマーク王位の不安定さが繰り返し描写される『ハムレット』という芝居の構造の中で論じられることも少ない. 故に本論は, Bruce Smith によるシェイクスピア劇におけるバラッド・パフォーマンスに関する議論基づき, 4幕5場におけるオフィーリアのパフォーマンスの劇的機能を明らかにする. オフィーリアのバラッド歌唱は民衆による政治的危機下において行われる. 民衆は, レアティーズの父の殺害を隠蔽する王室に反抗し, レアティーズを王にせよと要求し宮廷に進攻する. この場を考察することで, オフィーリアのバラッド・パフォーマンスは, 初期近代イングランドにおいては舞台上で直接的に表出させることが許されなかった民衆の抗議を内在することを明らかにする.

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頼まれもしないのに弾く、というのはネロ帝を想起するが、オフィーリアの場合は逆の社会的意味があると。追悼を皆で静かにしたいときに何やらリュートを掻き鳴らす狂気のオフィーリアか… https://t.co/6DSQW6JeU6 https://t.co/uUIBYmuUpL
@Cristoforou 紅レポジトリ自体は生きてるみたいですから、論文タイトルをググれば出ますね… https://t.co/6DSQW6JeU6

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