- 著者
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合田 昌史
- 出版者
- 史学研究会 (京都大学文学部内)
- 雑誌
- 史林 (ISSN:03869369)
- 巻号頁・発行日
- vol.90, no.1, pp.92-122, 2007-01-01
近世の二大海洋帝国スペインとポルトガルは「発見」されていない非キリスト教世界を二国間で排他的に分配し領有する「世界分割」(分界) の言説を展開した。本稿はこの言説の起源と成立と展開を扱う。分界の起源のひとつは一二〜一三世紀のレコンキスタにおける未征服地分配の諸条約と「回復」の理念にあるが、成立の直接の契機は両国がアフリカとアメリカへ進出する一五世紀後半にある。回復の限界を超えた進出を第三国向けに正当化するために「発見」の理念と教皇の「贈与」勅書が拠り所とされ、両国間で利害調整が行われた結果、仮想の分界線が引かれた。成立当初の分界は東西へ漸進するふたつのフロンティアを意味していたが、マゼランの大航海を契機に、世界の二等分割の解釈が両国間で共有されるようになり、アジアにおける対蹠分界線の在処が議論された。占有主義の第三国を排除する未征服地分配の言説は近世を通じて保持された。