- 著者
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石川 禎浩
- 出版者
- 史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
- 雑誌
- 史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (ISSN:03869369)
- 巻号頁・発行日
- vol.102, no.1, pp.152-187, 2019-01-31
近代西洋由来の文明史観は、東アジアの「歴史学」の形成に大きな影響を与えた。文明史観(東西文明論)をその価値観とともに中国に紹介し、根付かせたのは、戊戌政変によって日本に亡命した梁啓超、あるいは中国共産党の創設者の一人となる李大釗らであり、それを可能にしたのは、梁にあっては福沢諭吉や浮田和民の著作、李にあっては茅原華山の著作という日本語の出版物を参照できたことだった。「四大文明」という呼称も、二〇世紀初頭には日本、中国ですでに登場していたものであって、一部の歴史家がいうような戦後の発明品ではない。その後、中国でいわゆる「東西文明論争」が一九一〇年代半ば以降に華々しく行われると、文明史観から派生した地理環境決定論が東西文明の違いを説明するものとして、いったんは主流の言説となった。ただし、歴史の発展を単線的、一元的なものとみなす唯物史観が中国左翼論壇を席巻していくと、文明史観、特に地理環境決定論に依拠する歴史解釈は、次第にその影響力を失ってしまうことになる。