著者
小松 謙之
出版者
麻布大学
巻号頁・発行日
2015-07-08

オガサワラゴキブリ(Common name : Surinam cockroach)は、世界の熱帯、亜熱帯に広く分布する害虫であり、国内では鹿児島から南西諸島、小笠原諸島などに分布している。近年、このゴキブリが、我が国の都市部の建築物内にも侵入し、捕獲や駆除が報告されはじめている。また海外においても、同様に都市部の家屋内への侵入が問題となっている。疫学的には、エチアピアにおいて、Kinfu and Erko (2008) は、このゴキブリの体表から、ヒトに感染性をもつ蠕虫類の回虫卵やテニア科条虫卵を検出し、さらに腸管からは、これらに加え、鞭虫卵や原虫類である大腸アメーバのシストの検出を報告しており、感染症を媒介する衛生害虫としても注目されている。 オガサワラゴキブリに関しては、形態的に良く似た2種が知られており、両性生殖を行うPycnoscelus indicusと、単為生殖を行うPycnoscelus surinamensis が存在する。P. indicusとP. surinamensisの種の分類方法については、Roth(1967)が成虫を用いた交配実験を行い、受精嚢内に精子があるにもかかわらず、雌のみを産出した個体をP. surinamensis、雌雄を産出した個体をP. indicusとしている。また、形態的な違いとしてP. indicus は複眼と単眼点の距離が離れているのに対して、P. surinamensis は両眼が接していることで区別できるとしている。 P. indicus の雄は雌に比べて乾燥に弱く、生育環境が適切でないと雄が死んでしまうため交尾ができず、繁殖することはできない。ところが、P. surinamensis は繁殖に雄は必要ないため、雌が1匹でも生息すれば多少環境が悪くても侵入した場所で繁殖を繰り返すことが可能である。 朝比奈(1991)は、日本産の個体は、雌雄が常に同時に採集されており、雌だけの単為生殖の系統は観察されないことから、日本に生息する個体はP. indicusである可能性を示唆した。しかしながら、日本産のオガサワラコギブリを用いた詳細な実験による証明が行なわれるまでは、従来のP. surinamensisとすることを提唱し、今日に至っている。このように、オガサワラゴキブリは衛生害虫として重要なゴキブリでありながら、種の鑑別と分布がまったく不明なのが現状である。 そこで本研究では、成虫にまで発育する前に雌雄の区別ができるように、まず幼虫期における雌雄の鑑別方法の確立を行った。ゴキブリ類の幼虫期における雌雄の鑑別については、トウヨウゴキブリBlatta orientalis、チャオビゴキブリSupella longipalpa、クロゴキブリPeriplaneta fuliginosaで確立されており、幼虫期の腹板の形態により鑑別可能であることが報告されている。そこで、沖縄県八重山郡竹富町石垣島で採集し、予備実験により産仔幼虫が雌雄の成虫に発育することを確認した個体群を使用して実験を行い、孵化直後の幼虫を腹板の形態ごとにグループに分け、成長段階における腹板の形状を記録し、最終的に各グループの個体が雌雄のどちらになるかを調べた。その結果、雌では1~6齢期の幼虫において第9腹板の後縁中央部に雄では見られないnotch(V字型)を有し、7齢(終齢)期では、第7腹板が発達して第8~9腹板および尾突起を覆い隠した。これに対して雄では7齢期まで第8~9腹板、尾突起がみられた。したがって、この特徴を観察することによって幼虫期の雌雄鑑別が可能であることが判明した。 次に幼虫期の齢期を判定するため、尾肢の腹面および背面の環節数を計測した。その結果、背面の環節数は2、3齢で同数となり判定できないが、腹面の環節数は1齢幼虫で3節、2齢幼虫で4節と加齢するごとに1節ずつ増加することが分かり、この部位の環節数を調べることにより幼虫の齢期の判定が可能となった。 これらの結果をもとに、日本に生息するオガサワラゴキブリの種と分布を明らかにするため、小笠原諸島(硫黄島・母島・父島・西島・媒島)、奄美諸島(徳之島・奄美大島)、沖縄諸島(沖縄島・宮古島・石垣島)、ハワイ島から採集した雌成虫を単独で飼育し、実験に用いる個体の繁殖を行った。その結果、硫黄島・徳之島・沖縄島は、雌のみを産出する個体と、雌雄を産出する個体が見られたため、前者をAグループ、後者をBグループとして11地域14系統の個体群を使用して交配実験を行った。 交配実験は、雌のみを産出する個体群には、Roth(1967)と同様にP. indicusと判明しているハワイ産の雄を使用し、雌雄産出する個体群は、その個体群内の雄を使用した。その結果、1地域で2系統見られた硫黄島、徳之島、沖縄島では、硫黄島Aグループの個体での産出数は、雄0個体、雌478個体で、産出後のすべての各個体における受精嚢内に精子を保有していたことよりP. surinamensisであった。硫黄島Bグループは、雄162個体、雌157個体を産出し、1回の平均産仔数の雄雌比は、10.8:10.5(p>0.05)で、性比に有意差は認められずP. indicusであった。徳之島Aグループは、雄0個体、雌221個体を産出し、すべて受精嚢内に精子を保有していたことよりP. surinamensisであった。徳之島Bグループは、雄242、雌207を産出し、1回の平均産仔数の雄雌比は12.1:10.4(p>0.05)で、性比の有意差は認められずP. indicusであった。沖縄島Aグループは、雄0個体、雌724個体を産出し、すべての受精嚢に精子が保有されていたことよりP. surinamensiであった。沖縄島Bグループは、雄322、雌312を産出し、1回の平均産仔数の雄雌比は16.1:15.6(p>0.05)で、性比の有意差は認められずP. indicusであった。以上の結果より、硫黄島、徳之島、沖縄島は、P. surinamensisとP. indicus の2種が同時に生息していることが初めて明らかとなった。 雌のみが産出された母島・父島・西島・媒島の個体のうち、母島の受精嚢に精子が確認された個体での産出数は、雌248個体、父島の精子が確認された個体での産出数は、雌59個体、西島の精子が確認された個体の産仔数は、雌663個体、媒島の精子が確認された個体での産出数は、雌143個体であったことから、以上4島の個体は全てP. surinamensis であることが明らかとなった。 雌雄産出した個体のみであった奄美大島・宮古島・石垣島では、奄美大島の個体は、雄260、雌260で、1回の平均産仔数が14.4:14.4(p>0.05)であった。宮古島の個体は、雄230、雌267で、1回の平均産仔数が16.4:19.1 (p>0.05) であった。石垣島の個体は、雄281、雌266で、1回の平均産仔数が16.5:15.6(p>0.05)であった。ハワイ島の個体は、雄199、雌189で、1回の平均産仔数が11.7:11.1(p>0.05)であり、以上4島の個体はすべてP. indicusであることが明らかとなった。 以上の結果より、日本にはP. indicusとP. surinamensisの2種類が生息しており、これらが混生している地域、およびP. indicusのみ、あるいはP. surinamensisのみが生息する地域があることが明らかとなった。 次に、実験により種が判明した個体を使い、この2種類の形態的な違いを調べた。Roth(1967)は、複眼と単眼点が接していればP. surinamensis、離れていればP. indicusであるとしたが、本実験ではP. surinamensis の雌成虫の複眼と単眼点は接しておらず、その距離は、母島0.16㎜>父島0.14㎜>媒島0.13㎜>西島・徳之島・沖縄島0.12㎜>硫黄島0.10㎜となり、平均0.13㎜であった。一方、P. indicus 雌成虫の複眼と単眼点の距離は、硫黄島 0.18㎜>宮古島0.16㎜>奄美大島・沖縄島 0.13㎜>徳之島・石垣島0.12㎜で、平均0.15㎜となり、どちらの種も接しておらず、両種の複眼と単眼点の距離による鑑別は不可能であった。 また、昆虫類の種の違いとして前翅長の違いが広く利用されているため、雌成虫の平均前翅長を計測した。その結果、P. surinamensisは、沖縄島15.82㎜>母島15.26㎜>西島15.07㎜>媒島14.16㎜>父島13.81㎜>徳之島13.57㎜>硫黄島12.87㎜、P. indicus 雌成虫の平均前翅長は、沖縄14.72㎜>硫黄島14.35㎜>石垣島13.81㎜>徳之島13.54㎜>奄美大島13.53㎜>宮古島12.96㎜と、地域的な差異が大きく、両種を鑑別することはできなかった。 一方、交配実験を行わなくても種を鑑別できる方法を検討するため、本実験で得られた各雌成虫の未交尾個体による飼育実験を行った。その結果、P. surinamensisはすべての個体が幼虫を産出し、前述した幼虫期の雌雄鑑別法により、すべてが雌であることがわかった。一方、P. indicusはすべての個体で幼虫は産出しなかった。このことより、野外で採集した雌成虫の同定法として、産仔幼虫がすべて雌であった場合はP. surinamensis、また雌雄を産出、あるいはまったく産出しない場合はP. indicusと同定できることが判明した。 以上、本研究により、これまで日本に生息するオガサワラゴキブリはP. surinamensisのみであると考えられていたが、P. indicusも同時に生息していることが明らかとなり、これらの結果から、日本に生息するゴキブリは1種増えて58種となった。さらに、現在までP. indicusとP. surinamensisは生息地域が違うと考えられてきたが、2種類が同一地域に混生している事実が明らかになり、今後の研究の方向性を再検討する必要がある。また、Roth(1967)が提唱している複眼と単眼点の距離による形態をもとにした鑑別方法は利用できないことがわかった。これに替わる新たな鑑別方法として、交配実験を行わなくとも未交尾の雌個体であれば、そのまま飼育して産仔すればP. surinamensis、産仔しなければP. indicusと判断でき、野外採集個体であれば、産出された幼虫が雌のみであればP. surinamensis、雌雄産出すればP. indicusと判断できることがわかった。朝比奈(1991)の報告では、我が国におけるオガサワラゴキブリの種に関する知見が明確ではなかったが、本研究における種々の交配実験や形態的な観察により、その詳細が明らかとなった。

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編集者: パダヴィアーテ
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